大人気だった巨人台湾春季キャンプ 台中は「大リーグボール」誕生の舞台
王貞治氏の母国の縁で招聘 台中野球場でキャンプ
NPB最古の球団、巨人は1950年代までは主として兵庫県明石市、60年代以降は宮崎県都城市、宮崎市、2011年からは宮崎に加えて沖縄県那覇市で春季キャンプを行ってきた。この間に、一次キャンプとしてベロビーチやグアムで海外キャンプも行っていたが、1968年、1年だけ台湾で春季キャンプを行っている。
台湾での春季キャンプには、当時、最強打者としてNPBに君臨していた王貞治の存在があった。中華民国籍で、台湾でも人気絶頂だった王貞治の縁で、台湾は巨人軍の春季キャンプを招聘したのだ。
キャンプ地は台湾中部の大都市、台中市。現在は市の郊外に台中洲際棒球場という、国際的な規模の球場があるが、当時は台中市街にあった台中野球場で行われた。この球場は、日本統治時代の1935年に創設。当時としても33年が経過した古い球場だったが、巨人を招聘するにあたって台湾政府、台中市は改装工事を行っている。両翼95メートル、中堅110メートルだった。現在の標準的な球場は両翼100メートル、中堅122メートルだから小さいが、これは当時のプロ野球の本拠地球場と比較して、それほどそん色はなかった。
現在の台湾は台北から高雄まで高速鉄道が通じている。日本の新幹線と同じ車両だ。アジア・ウィンターリーグに参加する選手は桃園国際空港から高速鉄道を経由して1時間余りで台中に到着するが、当時は台北松山空港から在来線(台湾鉄路)で台中まで3時間近くをかけて移動した。
台中駅に到着した選手たちは、大勢の市民の歓迎を受けた。爆竹も鳴らされ、川上哲治監督や選手が驚いたという報道もあった。