「僕は阿波野を…」西崎幸広氏が語るライバル像、目指したピッチングとは
1987年にデビュー、近鉄ドラ1阿波野と熾烈な新人王争い
1987年。パ・リーグでは史上に残る新人王争いが繰り広げられた。その主人公となったのが、日本ハムの右腕・西崎幸広、そして近鉄バファローズの左腕・阿波野秀幸。大卒同期のドラフト1位入団だった2人は、それぞれのチームで開幕1軍を勝ち取り、新人ながら先発ローテの一角として大車輪の働きを見せた。競うように勝ち星を並べた2人は、シーズンを終えての成績もほぼ互角だった。
西崎:30試合(221回1/3)15勝7敗 176奪三振 防御率2.89
阿波野:32試合(249回2/3)15勝12敗 201奪三振 防御率2.88
どちらが新人王を手にするのか。その行方に大きな注目が集まる中、両リーグ最多となる201奪三振、249回2/3を記録した阿波野が記者投票で上回り、この年の新人王に輝いた。一方の西崎には、史上初となる「パ・リーグ会長特別賞」が贈られた。
2人は1987年から90年までの4シーズン、互いに合計58勝を挙げるなど一歩も譲らぬ活躍ぶりで、史上稀に見る好敵手としてファンの目を楽しませ、対決を盛り上げた。それだけに、当人同士もさぞかし互いをライバルとして意識したことだろうと思いきや、西崎氏は当時を振り返りながら「僕は阿波野をライバルだと思って見たことはないですね」とカラリと笑った。
「ライバルってよく言われるんですけど、やってる方は意識することはなかったんですよ、本当に。まず、僕は基本的にライバルを身近に置かないとダメなんですよ。同じチームで同じ条件じゃないとライバル視はできない。チームが違うっていうことは、打線の援護も違うし、チーム事情も違う。だから、ライバルだとは思っていませんでした」