元オリ助っ人が語る19歳のイチロー「人生最高の打者の一人」「面白い男」
93~94年にオリックスでプレーしたタイ・ゲイニー氏「イチローはとても面白い男」
3月21日、東京ドームで行われたアスレチックス戦を最後に、現役生活に幕を下ろしたマリナーズのイチロー外野手。かつてオリックス時代のチームメートだった元メジャーリーガーが、19歳の“鈴木一朗時代”、そして登録名変更後に大ブレークした“イチロー初年度“を回顧している。メキシコ野球専門誌「クアルト・バット」が報じている。
1993年と94年のオリックス時代、背番号51とチームメートだった元外野手のタイ・ゲイニー氏。1979年にアストロズでドラフト指名され、85年にメジャー昇格。87年までの3年間で57試合出場とメジャーに定着できなかった苦労人はメキシコ球界を経て、93年にオリックスにやってきた。
ゲイニー氏は初年度に打率.290、23本塁打、43打点と結果を残した。それでも、後に世界最多安打記録でギネスブックに名を記す19歳のイチローの打撃は鮮烈だったという。どんな時でも冷静沈着な“イチロー流”は、入団2年目の93年の時点で確立していたと記事の中で振り返っている。
「イチローは日本にいた若い頃から、感情を表に出すなと教育を受けていた。動揺やフラストレーション、悲しみ、喜びといった感情をイチローがフィールド上で表現したことを、私は見たことがなかった。彼は自分の感情をいかにコントロールするのか知っていた。アメリカでも、投手は彼の感情を一切読み取れなかった。なぜなら、彼は一切の感情を表に出さない。イチローはプレッシャーの中でも冷静さを保つことを学んでいたんだと思うよ」
13歳年の離れた2人だが、親交は厚かったようだ。
「自分がイチローに教えた最後の言葉はWhat’s up,home boy?(調子はどうだい、我が友)だったんだ。彼とも会話は気楽だったよ。全てがベースボールについてものだったからね。通訳を介すこともあったけれど、色々なことで笑い合うこともあったんだ。プレーしていない時は、とても面白い男なんだ」
19歳のイチローと冗談で笑い合うこともあったと記事の中で振り返っているゲイニー氏。ただ、すでに実力は圧倒的だった。