DeNAが失う「大きな柱」 三浦大輔、涙の引退会見全文「横浜に残ってよかった」
背番号「18」は“横浜ナンバー”に、同僚に決断伝えた瞬間とは
DeNAの三浦大輔投手が25年の現役生活に幕を閉じる決断を下した。1991年のドラフト6位で入団し、2年目にプロ初勝利を含む3勝をマーク。ここまで通算534試合に登板し、172勝183敗、防御率3.58の成績を収めた。今季のレギュラーシーズンでは残り1試合に登板し、ユニフォームを脱ぐ。ファンから愛された42歳は20日、横浜市内で臨んだ記者会見で何を語ったのか。高田GMとともに出席し、時折、涙も見せた会見の内容を振り返ってみたい。
三浦「今シーズン限りで引退します。高校を出て、大洋ホエールズに入団し25年間、横浜の街に育てられた。いつも皆さんに支えられて、CS出場も決まりました。今シーズン全うして、終わろうという気持ちです。1日でも長く選手たちと一緒に戦えるようにしたい。いろんな思いがあります。感謝の気持ちでいっぱいです」
高田GM「16日までの甲子園での阪神戦が終わった後、『現役を引退したい』という話があった。了承するしかなかった。大きな柱を失う。痛手です」
(以下、球団関係者が説明)
「背番号18はプレー、振る舞いともにチームをけん引する、象徴となるべき存在がつける“横浜ナンバー”と名付け、継承していきます。今後はその番号にふさわしい存在が出るまで欠番とします」
――引退を決意して、会見をする率直な気持ちは?
三浦「いろいろ考えて決断してからも、伝えられなかったので、ちょっとすっきりした」
――まだやれるだろうと思う。決断した理由は?
三浦「勝てなくなったから。先発ができなくなって、勝てなくなったらやめると決めていた。8月まで投げられなかった。気持ちは固まっていた。もう一度勝負したいという気持ちがあったので、9月頭の甲子園先発まで、球団にも伝えなかった」
――決断するにあたって、誰かに相談はしたか?
三浦「家族には相談した。最終的には自分で決めた」
――奥様の反応は?
三浦「残念がっていた。子どもたちも『まだできるんじゃないの』と言っていた。プロの世界は厳しい。その辺はしっかり話した。甲子園の試合を見に来てくれた。その前で投げられてよかった」