もう1度だけ真剣に…きっかけはテレビで見た甲子園 NPB目指す152キロ右腕

強豪校に進むも右肘骨折で野球を離れた福永春吾、4年を経てドラフト候補に

 人はそれぞれに個性豊かなストーリーを持っている。独立リーグに集まる選手たちも、例外ではない。まったく無名の状態からNPBを目指す選手、戦力外になった後で再びNPBを目指す選手、とことんまで野球と付き合う覚悟を決めた選手……。それぞれがさまざまな理由を持って、さまざまな道を経て、独立リーグにたどり着いた。四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスでプレーする152キロ右腕、福永春吾が持つストーリーも面白い。まだ22歳だが、すでに1度野球を離れた経験を持つ。

 18歳の夏。アルバイトに明け暮れていた福永は、テレビの前で考えた。「もう1度だけやってみようかな……」。テレビに映るのは、甲子園で最後の夏を戦う同い年の高校球児たち。福永が野球から離れて1年が過ぎようとしていた。

 子供の頃から野球一筋。大阪・高槻市の出身ながら、巨人ファンだった父の影響で、自宅で見ていたのは巨人戦だった。当時は捕手や外野を守っていたため、同じ左打ちの好打者だった巨人の高橋由伸(現監督)に「すごく憧れていました」。もちろん、夢はプロ野球選手になること。地元の強豪高校・金光大阪で野球部に入り、1年生の頃から速球派の投手として頭角を見せ始めた。が、思わぬ敵が現れた。怪我、だ。

「2年生の時に骨折を2回したんです。夏前に1度骨折して、投げられはしなかったけど、打つ方で試合には出られた。秋の大会に向けて治していたんですけど、平安(京都)と練習試合した時に、また右肘を骨折して。そこからはゲームに出られませんでした」

 今まで生活の中心にあった野球を、急に取り上げられてしまった。「完全に滅入ってました。もう終わりだなって」。野球から離れようと思った福永は「(野球のことは)まったく考えなかったですね。まったくノータッチっていう部分が大きかったです」と、アルバイトに没頭した。強い思いを持っていた分、失った時の空しさは大きい。正直、野球は見たくもなかったという。

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