鳥谷のメジャー断念の舞台裏 球団スカウトの「あと3年早ければ」の声
「あと5年、いや3年早ければ、大活躍していただろう」
人生において「たら・れば」の話はないと言われるが、時折過去を振り返りながら「ああしていたら……」「こうなっていれば……」と思いを巡らせるのが人間の常というものだ。今オフに海外FA権を行使した鳥谷敬が“生涯阪神”を決めたという一報を聞き、その決断に心からの敬意を表すると同時に、もう見ることはなくなったであろう“メジャーリーガー鳥谷”が誕生したであろう数々の「たら・れば」が頭の中を駆け巡っている。
長年鳥谷を見続けてきたメジャーのスカウトたちが口を揃えるのは、「あと5年、いや3年早くメジャー挑戦に乗り出していたら、大活躍しただろう」ということだ。意外なことかもしれないが、メジャーでは年齢がネックになることが多い。代理人を務めるスコット・ボラス氏は鳥谷を「日本のカル・リプケン」「日本のアイアンマン(鉄人)」と呼び、その体の強さとスタミナを強調したが、大方の見方は「峠を越した」というものだった。
確かに、2014年こそ打率が自身最高の3割1分3厘を記録し、安打数が172を数えたが、本塁打数を見ると2010年の19本以降、2桁に達したのは2013年の10本のみ。その分、四球数が増えて出塁率もアップしているが、打点や得点も低下した。
2006~9年まで広島、2010年は楽天で監督を務めたマーティ・ブラウン氏(現ナショナルズ・スカウト)は、かつて「鳥谷からアウトを奪うのは本当に至難の業だった。バットを振れば必ず出塁していたイメージがある。メジャー移籍したら面白い選手だと思った」と日本で指揮を振るった当時を振り返ったことがある。ブラウン氏が褒めるのは、奇しくも5年前の姿。29歳という旬真っ只中の時期にメジャー挑戦を表明していたら……。阪神がポスティング制度を利用した移籍を許可しなければあり得なかった選択肢だけに、実現した可能性は極めて低いだろう。