最長ブランク出場へ “坊っちゃん”モデル松山東が82年ぶりセンバツ切符
松山中時代の1933年以来2度目となるセンバツ甲子園出場が決定
第87回のセンバツ甲子園の出場高校が23日、決定した。21世紀枠での出場が決まったのが松山中時代の1933年以来、82年ぶりのセンバツ切符となる愛媛・松山東高校。最長ブランクのセンバツ出場となる。
松山中時代の1933年には春夏連続で甲子園出場。松山商と統合していた1950年夏には全国制覇も経験している。その後、商業科が分離し、松山商業と松山東高校に。松山商の躍進の陰で、同校はその後、低迷していた。昨年の夏の愛媛大会には決勝まで進出。甲子園まであと一歩のところまできていた。1933年のセンバツでは大正中に延長12回の末、3-4で敗れている。82年前という大先輩の悔しさ、そして期待を背負い、甲子園のグラウンドに立つことになる。
同校創立は江戸時代の1828年と古い。俳人・正岡子規が、1889年に東京からバットとボールを持って帰省し、母校・松山中に野球を伝えた。その3年後に後に野球部へとつながっていく球技同好会が発足したとされる。野球部の創部に野球殿堂入りしている正岡子規が大きくかかわっていることも話題となり、21世紀枠の最有力候補となった。
OGである敷村良子さんの小説で後に映画化された「がんばっていきまっしょい」は同校がモデルになっている。「がんばっていきまっしょい」は部員たちの掛け声にもなっており、甲子園でも練習日からその声が鳴り響くことだろう。ほかにも大江健三郎らも輩出。夏目漱石が教壇に立ったこともあり、小説「坊っちゃん」のモデルにもなった。
そんなふうに話題性は尽きない同校は実力もしっかりとともなっている。昨夏は県準優勝。新チームで戦った昨秋は準々決勝で昨夏の決勝で敗れた小松にリベンジ。準決勝では新田を破り、決勝に進出。63年ぶりの四国大会切符を手に入れた。決勝では今治西に0-5で敗れたが四国大会に出た実力は高く評価された。四国大会では鳴門に1回戦で敗れるも健闘した。
2005年には高松(香川)が72年ぶりの出場をセンバツ21世紀枠で出場した(初戦敗退)。文武両道の松山東は21世紀枠の理念に合った学校と言えるだろう。この枠についての是非の議論は絶えないが、出場が決まった球児たちには全力プレーで、甲子園で大暴れしてもらいたい。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count