若手躍進を支えたベテランの献身、ホークス高谷が歩んだ数奇な野球人生

ソフトバンク・高谷裕亮【写真:荒川祐史】
ソフトバンク・高谷裕亮【写真:荒川祐史】

幾度の怪我を乗り越えて、ベテランの妙技で優勝に貢献

 今季、さすがの強さで日本一に輝いた福岡ソフトバンク。育成契約から這い上がって目覚ましい飛躍を遂げた甲斐選手が、その扇の要として注目を浴びている。だが、献身的に投手陣を支えて優勝に貢献した捕手は、この新進気鋭の若者1人だけではなかった。若い甲斐選手が危機感を持ち、多くの学びを得ながらより良いパフォーマンスを発揮する上で、2番手捕手である高谷選手の存在は非常に大きかったに違いない。

 高谷選手は異色の経歴を持つベテランだ。小山北桜高校を卒業後、3年後のプロ入りを目指して富士重工に入社するが、相次ぐ故障に悩まされ、公式戦出場は1度もないまま2年目に退社。失意の中、気持ちを切り替えられずに実家に閉じこもった。しかし、プロ野球選手になる夢を諦めきれず、1年間の浪人生活を経て一般試験で白鴎大学に入学する。そこで頭角を現し、2006年に福岡ソフトバンクから3位指名を受けた。

 26歳のオールドルーキーだった高谷選手は当然即戦力の呼び声が高く、正捕手候補と期待された。しかし、1年目はわずか12試合の出場にとどまり、その期待に応えられず。2年目の2008年は62試合に出場するものの打率1割台に終わり、翌年は長打力を誇る田上秀則氏が正捕手の座に就く。その後は競争が激化し、なかなか正捕手に定着できないまま、年齢を重ねて厳しい立場へ追い込まれつつあった。

 そんな高谷選手に転機が訪れたのは2015年。鶴岡選手、細川選手(現・楽天)の故障でスタメン出場の機会を増やし、自己最多の93試合に出場する。そして迎えた今季は細川選手が退団し、ひと回り近く年下の甲斐選手と正捕手争いを繰り広げることに。若いライバルと競い合いながら順調に出場試合数を増やしたが、6月10日に右手指を骨折して戦線を離脱。また、復帰後の7月24日にはファウルチップを受けたことによる脳震とうで登録を抹消されるなど、相次いで不運な負傷に見舞われた。

 それでも、自己最多に次ぐ92試合に出場し、チームの王座奪還に貢献した。日本シリーズでは3試合で先発マスクを被ると、投手を救う殊勲打を放ち、緊迫した場面でベテランの妙技を見せ付けている。

「高谷さんがいたから楽な気持ちでいけた」

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