「最後は古巣で」は日米共通? プロ野球人生スタートの場所へ帰る選手たち
ドライなだけではないメジャーの契約
先日、松井稼頭央外野手が選手兼テクニカルコーチとして、2003年以来となる埼玉西武ライオンズへの復帰を果たした。
ドラフト指名を受け、一流選手へと育ててくれた球団から羽ばたき、世界の舞台へ。そこから楽天を経て、再び古巣へ復帰する。最後はプロ野球人生スタートの場所へ帰るというストーリーには、故郷へ帰るという日本人の心が宿っているように思える。しかし、キャリアの最後に古巣へ貢献するという考えは日本だけというわけではない。
海を越えたメジャーリーグでも最後に古巣へ戻っていくというケースはこれまでにも複数あった。日本人のファンにも多く知られているケン・グリフィー・ジュニアもそのうちの1人だ。1987年のドラフトで全体1位でシアトル・マリナーズから指名を受け、2年後に19歳の若さでメジャーデビュー。11シーズンもの間、マリナーズの一員として活躍するが、2000年にはシンシナティ・レッズへ移籍。レッズ9年目の途中でシカゴ・ホワイトソックスへ移るも、そのオフには再び古巣のマリナーズに復帰する。2シーズン後に引退したが、野球殿堂入りする際にはマリナーズの帽子を選んだ。
グリフィーの場合はマリナーズからのトレードを要求して、地元であるシンシナティへ念願の移籍をすることとなった。結果として、シンシナティでは怪我の多いキャリアとなってしまい、思うような活躍はできなかった。それでもFAとなったグリフィーにマリナーズはラブコールを送り、復帰を実現させた。一度去った選手を再び迎え入れる、そんな懐の大きさもメジャーリーグには存在する。