「木内さんは絶対に見ている」 “教え子”の日本製鉄鹿島・中島監督が無念の初戦敗退

日本製鉄鹿島・中島彰一監督【写真:鳥越涼芳】
日本製鉄鹿島・中島彰一監督【写真:鳥越涼芳】

中島監督は名将・木内監督が率いた取手二で全国制覇、常総学院出身の飯田は3回途中3失点「残念」

 日本製鉄鹿島は25日、東京ドームで行われた第91回都市対抗野球大会4日目の第1試合で、三菱重工広島に6-7で敗れた。24日夜に亡くなった高校野球の名将・木内幸男さんの“遺伝子”を色濃く受け継ぐ日本製鉄鹿島。木内さんに白星を届けたかったが、叶わなかった。

 初戦の前夜に訃報が飛び込んできた。高校野球で茨城の取手二、常総学院の監督として春夏通算3度の優勝を果たした木内幸男さんが24日、肺がんのため89歳で亡くなった。日本製鉄鹿島を率いる中島彰一監督も、木内さんの教え子の一人。1984年に取手二がKKコンビを擁するPL学園を8-4で破り初優勝を果たしたあの激闘で、中島監督はマスクを被っていた。桑田から決勝3ランも放ち、当時監督だった木内さんを男にした。

 訃報を受けた中島監督はOBと電話で木内さんとの思い出話にふけった。「今日は負けられない。木内さんは絶対に見ている。みっともない試合はできないと思いました」。強い思いを胸に采配を振るったこの日の試合は、両軍合わせて27安打が飛び出す乱打戦に。中盤に4点のリードを許したが、7回に4番・高畠の2ランなどで追い上げ、1点差に詰め寄った。しかし、三菱重工広島の救援陣の前にそれ以上の得点は奪えず、6-7で敗れた。中島監督は「投手を引っ張りすぎた。わたしの反省は非常にある。選手たちは投打でよく頑張ってくれた」と敗戦の責任を背負った。

 この日先発した飯田晴海投手も木内さんとの縁がある。茨城出身の飯田にとって「小さいころから憧れだった」という常総学院に、当時指揮を執っていた木内監督に誘われた。「全国優勝の監督に声をかけていただいて、嬉しい気持ちでいっぱいだった。今があるのは常総学院に入れたから。短い期間でしたが、木内監督と出会えたことが大きい」と当時を振り返り、「木内監督にとっていただいた最後の代。今日という日は特別だった。恩返しの姿勢を見せる投球をと思っていたが、結果がこうなってしまって残念」と3回途中3失点でマウンドを譲ったことを悔やんだ。

 中島監督は、木内さんとの一番の思い出を問われると「甲子園で優勝した時の監督さんの笑顔、本当に喜んでいる姿」と話し、「情を見せる方ではなかった。高校生の時は人間らしく接してもらったことはないが、夏の大会では僕たちを大人扱いして、しっかり乗せてくれた。すごい監督さんだったんだなと思います」と振り返った。

(安藤かなみ / Kanami Ando)

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