【小島啓民の目】都市対抗野球が7月開幕 なぜ野茂ら社会人野球出身の好投手が生まれたか
ラッキーアウトを失敗と考える視点が重要
金属バット時代に豪快な投手が育った背景には、失敗から学ぶことが多かったのでしょう。失投がほとんど安打、さらには長打になるわけですから「投げそこなったが結果的にうち取れた」というようなラッキーアウトは期待できなかったはずです。
三菱重工長崎の監督在任中には、杉内俊哉(巨人)、篠原貴行(ソフトバンク-DeNA)などの好投手を抱えていました。彼らは、打たれた場面を反省し、同じような状況が起きた場合の対処として「次はこのように対応する」「球種を1つ増やそう」などと捕手を含めて非常に考えて日々の練習に取り組んでいました。
野茂のフォーク、潮崎のシンカーのような特殊なボールも、最初からすんなり投げられたはずではなく、そのような失敗体験を積むことによって、「次は押さえる」と習熟されていったはずです。ラッキーアウトでは、好投手は決して満足していません。逆にラッキーアウトを失敗と考える視点が重要であり、その失敗を同様の場面で犯さないという意識が特に必要となります。
結果がすべてのスポーツ界ですが、良い選手になっていくためには、たまたま成功したという回数を減らし、真の成功へと少しでも繋げて行く意気込みが大切となってきます。このコラムは、これからの野球選手に向けた内容となっていますが、現状に満足することこそ、進歩を阻害する1番の敵です。
もっと上手く、より強く、などの向上心をもって、失敗を怖れず頑張っていくことが大切です。失敗したら、また練習するだけです。
【了】
小島啓民●文 text by Hirotami Kojima
小島啓民 プロフィール
1964年3月3日生まれ。長崎県出身。長崎県立諫早高で三塁手として甲子園に出場。早大に進学し、社会人野球の名門・三菱重工長崎でプレー。1991年、都市対抗野球では4番打者として準優勝に貢献し、久慈賞受賞、社会人野球ベストナインに。1992年バルセロナ五輪に出場し、銅メダルを獲得。1995年~2000年まで三菱重工長崎で監督。1999年の都市対抗野球では準優勝。日本代表チームのコーチも歴任。2000年から1年間、JOC在外研修員としてサンディエゴパドレス1Aコーチとして、コーチングを学ぶ。2010年広州アジア大会では監督で銅メダル、2013年東アジア大会では金メダル。侍ジャパンの台湾遠征時もバルセロナ五輪でチームメートだった小久保監督をヘッドコーチとして支えた。2014年韓国で開催されたアジア大会でも2大会連続で銅メダル。プロ・アマ混成の第1回21Uワールドカップでも侍ジャパンのヘッドコーチで準優勝。公式ブログ「BASEBALL PLUS(http://baseballplus.blogspot.jp/)」も野球関係者の間では人気となっている。