【高校野球】青森県勢の公立校では19年ぶり甲子園 三沢商はなぜ「私学の壁」を破れたか
公立校の夏の甲子園出場は1996年の弘前実以来
決勝は白熱の展開で、1対1で延長に突入。すると、10回表、守る三沢商は2死一、三塁とピンチを背負う。光星の代打・田代はファウルした後の2球目を強振。痛烈な打球がセンターに抜けるかと思われたが、実際にはそうはならなかった。
一塁走者が走ったことで三沢商の二塁手・佐藤がセカンドベースカバーへ。そこへ打球が飛んできて、捕球した佐藤はそのまま二塁ベースを踏んでスリーアウトチェンジとなった。運もあったが、しっかりとした守りが光った。
そして、イニングは進んで12回。三沢商は2死一、三塁とチャンスを作ると、2番・鎌本主将はカウント2-2からの5球目のチェンジアップに空振り。三振でチェンジかと思われたが、ボールはワンバウンドし、捕手の後方へ。三塁走者の米内山が頭から本塁に突っ込み、三沢商のサヨナラ勝ち。振り逃げで29年ぶりの甲子園出場が決まった。
決勝の試合前、浪岡監督は「今までやってきたことをしっかりやれば、いい勝負になるのでは?」と選手たちに話したという。三沢商の選手に特に自信を持たせたのは、春以降に力を入れた守備練習だろう。
浪岡監督は「前から力はあると思っていましたが、それを出せないでいました。エラーで乱れて苦しい展開になることが多かった」と振り返る。春の敗戦後には、選手たちに「どうしたいの?」と率直に聞き、守備練習に時間を割くようになった。
起こりうるケースを想定した実戦形式の守備練習で、選手自身が考え、予測してプレーできる力が身に付いていった。ミスをしても以前のように自滅することが減っていった。「守っていて、練習してきたほとんどの状況がありました」と鎌本主将。備えあれば憂いなし。試合を想定した普段の準備(練習)が大一番で力になった。
そして、三沢商の選手たちにとって最も大きな自信となったのは、準々決勝で聖愛を破ったことだった。青森の私学4強の一角を倒したことで、三沢商ナインは勢いづいた。
青森の公立校がはね返されてきた、私学の壁――。1996年夏に弘前実が出場して以来、青森は私学が代表校に名を連ねてきた。ただ、この現実も三沢商の選手たちにとっては発奮材料となった。