笑顔あり、涙あり、驚きあり―高校球児らの言葉で振り返る2015年アマ球界
ガッツポーズ事件、奇跡の日本一、レジェンドの引退…
○「地区で負けてから始まったチーム。よくやったな、ここまできたなと思う。高校野球100年目でこういう舞台に立てた。だから、余計にもぎ取りたかった」/仙台育英・佐々木順一朗監督
甲子園で早実を破って決勝進出したみちのくの雄・仙台育英。だが、東海大相模との決勝戦では接戦を演じながら、最後は力尽きた。これで東北勢にとって11度目の決勝戦で敗れ、悲願だった優勝旗の「白河の関越え」は、またも叶わず。銀メダルを胸に下げた名将・佐々木監督が、それでも悔しさを隠そうとしなかったところに、いかに優勝にかけていたか感じた。
○「何が起きるか分からないドラフト会議なので。自分でもよく分からない感じではあったけど、1位で指名していただいてうれしく思う」/明大・高山俊
10月のドラフト会議。指名そのものより、図らずも大きな話題となってしまったのが、ヤクルト・真中監督のガッツポーズ事件だった。明大・高山の交渉権を巡って1位入札した阪神とのクジ引きで、当たりと誤って判断。テレビインタビューで真中監督からメッセージを受け取った後で訂正され、今度は阪神・金本監督からラブコールを送られた。誰もが驚く、まさかの展開だったが、当の本人は苦笑いを浮かべながら、冷静にコメントをするあたり、大物感が漂っていた。
○「最後は彼で打たれて、幕切れでいい。打たれてもみんなが納得する。病気との闘いを見てきたから」/亜大・生田勉監督
11月の明治神宮野球大会。亜大は早大との決勝戦で延長13回1死一、三塁とサヨナラの大ピンチを迎えた。ここで生田監督は潔く散る覚悟を固め、4年生右腕・花城直にスイッチ。3年春に難病の黄色靱帯骨化症の手術を受け、懸命なリハビリと闘ってきた最上級生にすべてを託した。しかし、花城が絶体絶命の場面を併殺で切り抜けると、直後に勝ち越しに成功した。指揮官の想像を超える、奇跡のような大学日本一だった。
○「野球が好きで、できることならずっと続けていきたかった。25年間、楽しいことばかりじゃなかったけど、精いっぱいできた」/Honda・西郷泰之
「ミスター社会人野球」と呼ばれたHondaの43歳、西郷が11月に今秋限りでの現役引退を表明した。96年にアトランタ五輪銀メダルを獲得し、都市対抗歴代最多14本塁打を放ったアマチュア球界のレジェンドが、戦い抜いた25年間。その裏には「野球が好き」という野球少年と変わらない思いが支え続けてきたことを引退会見で明かした。強い思いは、アマ球界で白球を追いかけ続ける後輩の力になるだろう。
こうして振り返ってみると、今年も様々な出来事が巻き起こったアマチュア球界。2016年は、どんな言葉が私たちの耳に届くだろうか。
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フルカウント編集部●文 text by Full-Count