台湾でスターとなった元ダイエー右腕 独立Lで初めて監督に挑戦する理由

ダイエーから米国、メキシコ、ベネズエラ…「少しも苦しいと思ったことなかった」

 その活躍がダイエー(現ソフトバンク)の目に留まり、01年のドラフト7巡目で杉内俊哉(現巨人)と同期入団を果たしたが、腰の故障もあって1年で戦力外。活路を求めたのは、再び海外。今度は米国だった。ホワイトソックス傘下で3Aなどで3シーズンプレーし、ノーヒッターも達成。オフにはメキシコ、ベネズエラのウィンターリーグ、その後は米独立リーグにも渡った。最後は06年に台湾・兄弟に1年在籍。翌年はメジャーで入団テストを受けたが縁なく、33歳で世界5か国をまたいだ現役生活に別れを告げた。

 こうして見ると、激動の経歴となるが、ハングリー精神を求められる環境は過酷だった。

「もちろん、環境的には厳しい場所が多い。でも、少しも苦しいと思ったことはなかった。行った土地で郷に従ってやっていくだけ。深く考えるより、やることをやってダメならいいと思ってやってきたので。その時は『クビにしてください』と」

 3年間、不動産会社勤務を経て、10年に地元・神奈川で野球スクール「ルーツベースボールアカデミー」を開講。代表講師として指導に携っていたところ、小学校時代に徳島・坂口裕昭元社長(現・四国IL事務局長)とチームメートだった縁もあり、就任のオファーが舞い込んだ。

「周りを見渡しても、こういうところで監督をできるのは10年、20年もプロで現役をやってきた大先輩ばかりですから」

 そう本人が話す通り、広島で4番を務めた香川・西田真二監督、巨人で4番に座った高知・駒田徳広監督、そしてドラフト1位で入団して守護神に君臨した愛媛・河原純一監督と現役時代の実績が華々しい指揮官ばかり。それでも、オンリーワンの野球人生を歩んできたからこそ、できることがあると信じている。

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