台湾でスターとなった元ダイエー右腕 独立Lで初めて監督に挑戦する理由

NPBへの熱い情熱…かつての自分と重なる原石「背中を押していきたい」

 英語、スペイン語、北京語を操り、外国人選手とも意思疎通が図れることも、その一つ。世界では尊敬できる指導者とも出会った。ホワイトソックスの2A時代に指導を仰いだフアン・ニエベス投手コーチは現在、マーリンズで投手コーチを務めている。ただ、何より、自分自身がNPBを目指して歩んだ経験が貴重な財産だ。

「僕は日本でプロに行きたいと思って遠回りして、結局、けがをしてダメになってしまった。行くことに目標を持ってしまっていたと思う。行くだけじゃなく、行って活躍する選手にならないとダメ。自分はそれに気づくのが遅かった。だからこそ、ここに来た経緯はそれぞれ違うけど、私が一人一人の考え方と向き合って、背中を押していきたい」

 NPBへの熱い情熱を携えて渡ってきた選手が四国ILには多い。いわば、若かりし頃の指揮官と重なる原石ばかりだ。

 2月1日からチームの本格的な練習がスタートした。

「四国というで新たな土地で、また郷に従って、新しい環境でやっていくことが大事になると思う。監督は初めてでも期待の方が大きい」

 一人でも多くNPB、その1軍の舞台へ――。かつての自分を後押しする。そんな夢を宿した新たな旅が、徳島から始まった。

◆養父 鐵(ようふ・てつ)

 1973年6月26日、神奈川・鎌倉市生まれ。43歳。逗子リトルリーグで7歳から野球を始める。帝京三高から亜大を経て、日産自動車入り。都市対抗優勝を経験した。01年に台湾・兄弟から入り。以降、ダイエーから世界5か国でプレーし、07年に現役引退。10年から野球スクール「ルーツベースボールアカデミー」(http://rootsba.com)代表を務める。

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count

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