報徳学園・永田監督、鬼の名将はなぜ「早すぎる勇退」を決断したのか
「お前らは弱い」―練習に厳しい鬼監督、それでも選手、OBから厚い人望
報徳学園出身。高校3年生の夏、右翼を守り、エースの金村義明氏(元近鉄、野球評論家)とともに全国制覇を達成。中京大に進み、桜宮(大阪)でコーチを務め、1994年に母校の監督となった。これまで春10度、夏7度と甲子園に出場。2002年は大谷智久(ロッテ)を擁してセンバツ優勝。選手でも監督でも頂点に立った。
とにかく練習には厳しい監督だった。グラウンドでは怒号が響く。「もう練習に加わらなくていい!」「走っとけ」「こんなことされては、試合で使われへん」「帰れ」。ミスをしたり、一度言ったことを守らなかったりしたら容赦はしない。生徒たちが「やらせて下さい!」と懇願しても受け入れない。今年にチームについても「お話にならない」「お前らは弱い」と突き放しながら、指導をしてきた。それでも、選手たちは歯を食いしばって付いてきた。
西宮市にあるグラウンドは、甲子園球場にほど近い。専用グラウンドではないが、外野は人工芝、照明も完備。全体練習が終わっても率先して自主練習する選手の姿がある。ウエート場なども野球の施設はしっかりと整備されている。練習環境は良いと言っていい。同校野球部の出身者はプロはもちろん、社会人野球の名門チーム、関東、近畿、九州と名門大学へと進んでいる。OBらからの人望も厚い。
有望な中学生も「報徳で野球をやりたい」と入ってくる。今年のエースの西垣雅矢、篠原翔太の3年生バッテリーは全国クラス。一塁手の神頭勇介、遊撃手の小園海斗の2年生コンビは、早くもプロ球団のリストに挙がっている。来年以降も十分に全国トップクラスといえる戦力がいる。保健体育の教師でもある永田監督に、厳しい人間教育を託す親は少なくない。教え子たちもコーチとして力をつけてきた。
それなのに、なぜ辞めるのか。大会前、指揮官は明かした。