名将勇退で報徳学園が新たな船出、新体制の初陣で響き渡った怒号

自身も報徳学園で甲子園出場、一時は消防士を目指すも再び高校野球の道へ

 監督交代を正式に告げられたのは今年の1月中旬。永田前監督から「話がある」と呼び出され、春以降に自分に監督のバトンを託されることを知った。

 状況を飲み込むのに少々の時間を要したが、部長として4年間、永田監督とタッグを組んでベンチで選手を見つめてきた経験がある。ベンチ入りした13年から「気がついたことがあればどんどん指示をしてくれたらいい」と言われていたこともあり、当時から何かがあれば助言をしていたため「監督になったからといって、特にどうこうというのはなかったです」と、監督として迎えたこの日も試合は普段通りの心構えで臨めたという。

 報徳学園時代は4季連続で甲子園を経験し、3年時は主将を務めた。立命館大では1年からリーグ戦に出場しプロも目指したが、3年時にケガのため現役続行を断念した。大学卒業後は消防士を目指して猛勉強をしようとしたが、「母校の練習を手伝って欲しい」と恩師でもある永田監督に声を掛けられた。野球人生の後半はケガで思うようにプレーが出来なかったため、野球に関わらないでいようと腹をくくっていた矢先の出来事だった。

 悩みに悩んだが、恩師の言葉を受け入れ現在の道に。コーチ就任当時は事務職員だったが、母校を指導しながら通信課程で教員免許を取得し、社会科の教師としても教壇に立つ。

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