後に知った恩師の涙 日産野球部休部から再出発した左腕の「第2の野球人生」

キャンプ地で知った恩師の涙

 そして、野球を続けたいと思っていた秋葉に、JR東海から声がかかった。久保監督も「精いっぱい頑張って来い」と背中を押してくれた。

 JR東海のキャンプ地は、偶然にも日産自動車がかつてキャンプを行っていた宮崎県串間市だった。新たなチームの一員として串間を訪れた時、球場長から意外な話を聞いた。

「久保監督が、日本選手権が終わってから一人で宮崎まで来て、球場の人たちの前で大泣きしながら頭を下げてくれたよ。『本当にすみませんでした』って」

 初めて聞く話だった。誰にも言わずに宮崎を訪れ、泣きながら頭を下げた恩師の気持ちを思うと、胸がいっぱいになった。JR東海へ移籍が決まった時、副部長から受け取った手紙には、こう記されていた。

「久保監督が、朝から晩まで寝る間も惜しんで移籍先を探してくれた。それを頭に置いて第2の野球人生を歩んでくれ」

 久保監督は自身と同じ左腕で、かつて日産野球部のエースだった。言葉にすることはなかったが「自分の後を継いで欲しい」という思いを、秋葉は感じ取っていた。チームは変わっても、恩師の思いを忘れたことはなかった。

「休部を経験して、野球が出来ることが当たり前ではないことがわかりました。これからも日々感謝して野球を続けていきたいと思います」

 ホンダ鈴鹿が2回戦で敗退した今大会は登板の機会はなかった。しかし、来年は自身のチームで出場し、一度は諦めた東京ドームのマウンドで、野球ができる喜びを噛み締めながら躍動することを誓っている。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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