中日岩瀬が史上最多タイ949試合登板 救援登板数はアンタッチャブルな記録
次に目指すべき1000試合登板、メジャーでは16人が達成
先発、救援の分業が明確ではなかった昭和中期、大投手たちは先発の合間に救援投手としてマウンドに上がった。先発30試合、救援30試合、300イニングという数字も珍しくはなかった。先発、救援が明確に分かれた現代の投手とは別物だと言ってもよい。
NPBでは先発、救援別の登板試合数は記録していない。米田と岩瀬はともに偉大な投手ではあるが、その内容は大きく異なっているのだ。
岩瀬はすでに、救援登板数では圧倒的な数字を残している。
○救援登板数5傑、先発数もつける ※は現役
1.岩瀬仁紀(中日) 948(先発1)※
2.五十嵐亮太(ソフトB) 747(先発0)※
3.鹿取義隆(巨人他) 739(先発16)
4.山口鉄也(巨人) 635(先発2)※
5.藤川球児(阪神) 616(先発19)※
岩瀬はすでに、救援投手としては断トツの登板試合数を誇っている。岩瀬が先発したのは、2000年10月8日、広島市民球場の広島戦。7回を投げ自責点0(失点1)で勝利投手になっているが、他はすべて救援登板だった。
救援登板数上位の投手も、先発登板の経験はわずかしかない。ちなみに、600試合以上登板で、先発を一度も経験していないのは、五十嵐亮太と藤田宗一(600試合)の2人だ。
現代の野球では、先発投手と救援投手は、全く別のポジションだ。岩瀬は通算登板数で米田哲也に並んだから偉大なのではなく、それ以前から圧倒的な存在だった。救援登板数は、NPB記録の403セーブとともにアンタッチャブルな記録と言ってよいだろう。
MLBには1000試合以上登板した投手が、ジェシー・オロスコの1252試合を筆頭に16人いる。試合数が違うから単純な比較はできないが、岩瀬が目指すべきは空前の1000試合登板だろう。
(広尾晃 / Koh Hiroo)