現役の終着点は「わからない」 栄冠と挫折を味わった井川慶が求めるモノ
独立リーグでプレーする井川慶、心に秘める悔いと投げ続ける理由
「日米野球界の酸いも甘いも知っている」と言ったら言い過ぎだろうか。多くの栄光、そして挫折や非難中傷も浴びて来た。ここまでの経験をした選手もそうはいないのではなかろうか。サウスポーは、今、何を思ってボールを投げ続けているのだろう。
「彼が、まだ投げたい、ということだから場所を用意しただけ。これからどうなるかは誰にもわからない。来年、マウンドに上がってるかどうかも……」
そう語るのは阪神時代からトレーナーとして知る、兵庫ブルーサンダーズの続木敏之監督だ。
「やっぱり彼の経験は何物にも代えられない。指導者としてはこれほど大きいものはない。ただ昔から知っている友人としては、今後を考えてしまうこともある。でもそれは彼の野球人生」
日本中を巻きこみ、多くの歓声と金属音が響き渡っている、かつての本拠地・甲子園球場のすぐ近くでは、あの男がボールを追いかけていた。井川慶。2003年には最多勝、最優秀防御率、最高勝率に加え、球界最高の栄誉とも言われる「沢村賞」、「MVP」も受賞。阪神のみではなく、間違いなく日本を代表する投手となった。
あれから10年以上が経ち、状況は大きく変化した。周囲から見ると04年のヤンキース移籍を機に、井川の野球人生は「風雲急を告げた」。
「うーん、野球に対する気持ちとかはまったく変化ないですよ。でも今の方が肩やヒジの調子が良い。だからどこまでやれるのか、自分で楽しみな部分があるのも事実ですね」
今年7月に38歳となった井川はそう語る。
現在、所属するのは関西プロ野球リーグ。兵庫県三田市から認可されたNPO法人が運営するチームだ。とはいえ、「プロ」というのは名前のみだけのような現状がある。選手すべてが無給でプレー。(もちろん井川も同様)。下は16歳の定時制高校生から上は海外経験もある30代まで幅広い年齢層が在籍している。もちろん野球をする時以外は他の職場で働いたりバイトしたりする。「あいつ、内定5つ出ているらしいですよ」と語りあう大学生もいた。
「ここまで年齢層が広いのは初めてですね。最初は『どうなるんだろ……』と思ったけど、野球をやったら同じ。うまくなろうとみんながんばっていますよ。みんな野球が大好きなのがよくわかる。そうでないとこの環境じゃ、なかなかやれないですよ」