「情熱はある」― ダルビッシュ恩師が抱く自身3校目の甲子園への思い
熱血指導続けた今夏、「この30年でこれだけまじめに面倒を見たのは初めて」
07年に難病の黄色じん帯骨化症を発症し、独力では歩くこともできない状態ながら、埼玉栄の監督就任要請に応じた。復帰1年目の夏は185センチの大型右腕・出井敏博の活躍で8強まで進んだが、春は2回戦で敗れ秋は南部地区予選で敗退。2年目も夏はベスト16入りしたものの、春と秋はいずれも地区予選で姿を消し、県大会にも出られなかった。3年目の今年も春が地区予選、夏は初戦の2回戦で敗れ去っただけに今大会にかける意気込みは相当なものだった。
「この夏は早々に終わったから、厳しい練習を積んできた。朝9時から夕方4時まで、付きっ切りで指導したんだ。この30年でこれだけまじめに面倒を見たのは初めて。昔と違って今は言葉でも強く叱れないから、監督が一生懸命やっている姿を見せることが大切なんだよ」
敗戦後の長い取材の間、言葉の端々には悔しさ、もどかしさ、やるせなさがこれでもかというほどにじんだ。
プロ注目のエース右腕・米倉貫太ではなく、左の嶋田航を先発起用したが、3本の二塁打を含む5安打2失点で2回で降板。3回から米倉が継投したものの、4、5回にいずれも2死から計3失点。淡白な打線に援護はできなかった。