「僕が抑えを任されたのは奇跡に近い」―日ハム退団の武田久、会見一問一答

日本通運で選手兼コーチに就任する武田久【写真:石川加奈子】
日本通運で選手兼コーチに就任する武田久【写真:石川加奈子】

社会人野球の日通復帰へ「プロでは悔いはない」

 今季限りで日本ハムを退団する武田久投手が26日、札幌ドームで行われたファンフェスティバルにサプライズ登場。ファンに直接感謝の言葉を伝えた後、来季から社会人野球の日本通運で選手兼コーチに就任することを発表した。

 2002年のドラフト4位で日本通運から日本ハムに入団した武田は、すべて救援で通算534試合に登板し、31勝30敗167セーブ107ホールド、防御率2.61の成績を残した。最多セーブ3度、最優秀中継ぎ1度のタイトルを獲得し、3度のリーグ優勝に貢献した。

 チームメートに胴上げされて球場を後にした小さな鉄腕は、その後球団事務所で記者会見を行った。主な一問一答は次の通り。

――15年間在籍したチームを去る率直な心境は。

「ファイターズの15年間は、最後の方の何年かあまり投げられなかったですけど、自分なりには出し切れたのかなと思います。プロでは悔いはないです」

――プロでの15年間はどんな年月だったか。

「はじめは自信がなくて、いい場面でも投げられなかったですけど、コツコツやっていくうちに最終的には9回を任されるようになりました。プロに入った時は抑えやるとは思ってなかったので、僕ぐらいの能力にしては、9回をできたということは奇跡に近いと思います」

――恵まれた体格ではない中でこれだけの成績を残せた要因は。

「1年1年、本当に必死にやってきましたので、その積み重ねというか、あとは負けたくないという、ポジション取ったら奪われたくないというその気持ですね」

――日本一も経験したが、一番思い出に残っていることは。

「ポジション的にいい思い出というのはあまり残らないんです。やっぱり打たれた試合ですね。それを糧に頑張ってきましたので。自分がぶち壊した試合、いっぱいありますけど、そういうのが思い出ですね」

――9回を投げる上で支えにしていたものは。

「自分にしかできないことがあると思います。150キロの球も投げられなかったですし。しっかり自分のスタイルを貫き通して、打たれながらも抑えていく。そういうのがブレなかったから何とかできたのかなと思います」

――2004年北海道移転という出来事は武田投手にどんな影響があったか。

「入団した時は東京で1年やりましたが、正直チームもあまり強くなくて、お客さんもあんまり入っていませんでした。北海道に来て、選手だけでなく、当時のヒルマン監督だったり、球団職員だったり、球団スタッフだったり、いろんな地道な努力があって今の人気球団ファイターズがあると思います。その当時は常勝チームになるには時間がかかると思いましたけど、みんなの努力で今のファイターズがあるんだなと思います」

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