2017年に逝去した主な日米選手、球界関係者 コーチ、名投手の早すぎる死も
森慎二氏は42歳の若さで急逝
○6月24日 永射保 63歳
指宿商業から1971年ドラフト3位で広島に。左のサイドスローという変則派。ワンポイントリリーフとして左の強打者を悩ませた。広島、太平洋・クラウン・西武、大洋、ダイエーで通算44勝37敗21セーブ、防御率4.11。引退後は少年野球を指導した。
○6月28日 森慎二 42歳
新日鐵君津から1996年ドラフト2位で西武に。1年目から救援投手として活躍。通算44勝44敗50セーブ17ホールド。防御率3.39。2005年オフにポスティングシステムでタンパベイ・デビルレイズに移籍するがスプリングトレーニングで右肩を脱臼、一度も登板することなく契約を解除される。2009年BCリーグ石川ミリオンスターズのコーチ兼任投手となる。2010年から監督となり、リーグチャンピオン3度、指揮官としても能力を発揮。2014年に西武にコーチとして復帰するが、溶連菌の感染による敗血症のため急死した。
○7月1日 上田利治 80歳
関西大学時代は村山実とバッテリーを組む。1959年に広島入団。正捕手一歩手前までいくが故障、首脳陣は上田の頭脳に着目し、25歳で史上最年少のコーチに就任。以後指導者として経験を積み、37歳で阪急監督に。阪急・オリックス、日本ハムで20年間采配を執り、リーグ優勝5回、Aクラス14回。1322勝1136敗116分勝率.538。2003年に野球殿堂入りした。
○8月27日 高塚猛 70歳
球団経営者。リクルートを経てダイエー・ホークスに入社。球団代表に。福岡ドーム、ホークスタウンを含めた複合施設の経営で手腕を発揮。男性中心のファン層だった野球場に、女性、子供ファンを誘致。ダイエー・ホークスを年間200万人の観客動員を誇る人気球団に育てた。
○9月17日 デーブ・ヒルトン 67歳
1971年ドラフト1巡目でサンディエゴ・パドレスに入団。しかしMLBでは4シーズンで108安打6本塁打、打率.213。1978年にヤクルトに入団し、二塁、1番として活躍。ヤクルト初優勝に貢献した。1979年は阪神でプレー。NPB3シーズンで通算276安打38本塁打、打率.284。
○9月30日 八浪知行 87歳
プロ野球が2リーグに分立した1950年に、熊本工業から外野手として西鉄クリッパーズに入団。56年に大映スターズに移籍。通算58安打3本塁打、打率.191。のち、熊本県会議員、議長を歴任。
○10月11日 橋本力 83歳
北海道函館西高校から1953年、外野手として毎日オリオンズに入団。6年間で121安打12本塁打、打率.224。引退後、大映の俳優となり、「大魔神」シリーズのスーツアクターとなる。大魔神の眼光鋭い眼は橋本のものだった。
○11月6日 中村鋭一 87歳
大阪の朝日放送アナウンサー。熱狂的な阪神ファンで、ラジオのプロ野球中継で人気を博す。朝のラジオ番組のパーソナリティとなり、阪神が勝つと自らがレコーディングした「六甲おろし」を流した。のち、衆議院議員、参議院議員を歴任。1985年の阪神優勝のときは、感涙にむせんだ。
○11月30日 小池唯夫 85歳
毎日新聞社の記者、代表取締役を経て2001年、パシフィック・リーグ会長に就任。2004年の交流戦導入、球界再編問題、日本ハムの北海道移転、翌年のソフトバンクのダイエー・ホークス買収など多くの変化が起こる中、リーグ会長として尽力した。
○12月8日 野村沙知代 85歳
夫は元監督で野球評論家の野村克也氏。ヤクルト・スワローズ野村克則コーチの母。サッチーの愛称でタレントとしても活躍した。