松坂が背負う中日の「99」の歴史 中村紀と足取り重なる復活への道
中村紀は育成選手で入団し、移籍後2年で44本塁打を放った
選手として井上の次に「99」をつけたのは、中村紀洋だ。MLBのドジャースから2006年にオリックスに復帰したが、1年で退団。2007年に春季キャンプでのテストを経て中日に。当初は育成選手としての入団で、背番号は「205」だったが、開幕前に支配下選手となり、ここで「99」をつけた。2年間で44本塁打151打点と活躍した。FA権を行使して2009年に楽天に移籍、さらに2011年に横浜に移籍したが、愛着があったようで、2球団でも背番号「99」をつけた。
メジャーから日本球界に復帰し、復帰球団を退団した末のテスト入団と、中村と松坂の足跡は重なるところがある。中村以後、中日の「99」は、カブレラ、ジョーダンと外国人投手の番号になり、ジョーダンが昨季限りで退団したことで空き番号となっていた。
選手数が少なかった昭和の時代、NPBでの背番号「99」は監督やコーチ、はたまた打撃投手やブルペン捕手といった裏方がつける背番号だった。選手数が増えるようになって、選手も背負うようになるが、順番に割り振られて着ける背番号ではなく、移籍選手や、伸び悩んでいる選手に「もう後がない」「勝負の年」というニュアンスを込めて与えることが多いイメージがある。
他球団で言えば、日本ハムで、大洋から移籍した若菜嘉晴が1989年に「99」を着け、ヤクルトではオリックスから移籍して2年目の高橋智が2001年に背負った。巨人では日本ハムからFA移籍した藤井秀吾が2010年から「99」だった。9と9を足した「18」は、松坂がプロ入り1年目から、MLBに移籍しても、ソフトバンクに復帰しても、メッツ時代の2年間を除いて、常にこだわり、着けていた背番号である。新たな「99」を背負い、右腕は再び輝きを放てるだろうか。