「イチロー世代」のもう1人の“パイオニア” 3Aまで這い上がった日本人野手の今

“先駆者”の願い「同じ野球をやるなら世界へ、メジャーへ」

「アメリカの野球のピラミッドでは、A+とAAの間にはすごい溝があるんです。AAには、そのままMLBに昇格してバリバリやりそうな若手がたくさんいます。A+からAAに上がれたら道は開けるんですが、僕以外には出ていない。その溝を越えることができないんですね。

 法政の1学年下にG.G.佐藤君がいた。彼は僕がアメリカにわたって、AAAまで行ったのを見て“根鈴さんでできるなら、俺だって”と思ったんですね(笑)。彼は3年間マイナーでプレーしている。当時彼は、ウォーターも、コーラも通じないくらいの英語力でしたが、食らいついたら何とかなるんです。彼はフィリーズ傘下のA-までしか上がらなかったけど、メジャーに挑戦したことは無駄ではなかったんじゃないかな。

 昔はG.G.佐藤君や僕だけでなく、日本からメジャーに挑戦する若者はたくさんいたんだけども、今はいなくなった。加藤豪将君もアメリカ育ちですし。甲子園、プロ野球もいいですが、同じ野球をやるなら世界へ、メジャーへ、という若者がもっと出てきてほしいんですけどね」

 根鈴氏はアメリカの独立リーグ、メキシカン・リーグ、カナダの独立リーグ、オランダのプロ野球リーグなどでプレーをして日本に復帰した。

「2007年でした。日本にも独立リーグができたので、BCリーグの新潟で2年、四国アイランドリーグの長崎と徳島で4年プレーしました。最後はコーチになりました。もっと続けたかったんですが、この頃、母が認知症になりまして、介護をしなければならなくなった。遠くに行けなくなったので、帰って来たんです」

 選手としてのキャリアは終わったが、野球に対する情熱は衰えず、日本国内の野球塾でコーチを務めた後、昨年6月に横浜市に「AttaBoy Baseball 根鈴道場」を開設した。

「AttaBoyは、“アラボーイ”と読みます。“ That’s a Boy!”の崩れた形です。いいね、いいね! という感じでしょうか。アメリカのスポーツ界でよく使う言葉です」

 このネーミングに根鈴雄次氏が始めたユニークな野球指導にかける思いが凝縮されていると言っていいだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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