幻の本塁打「よく覚えてる」 NPB初現役メジャーリーガーが秘める日本愛(上)
メジャーで監督就任「日本でたくさんのことを学んだということ」
――1964年、オリンピックがあった年の東京後楽園球場での出来事を覚えていますか?
「覚えている、覚えている。アメリカでは『シャドーホームラン』っていうんだけどねえ。何が起きたかというと、レフトスタンドに入った球をお客さんが投げ返した。一瞬の出来事で審判は見ていなかったので二塁打になった(※実際はファンが捕球したことを妨害行為とみなし、これがなけれが外野手が捕球していたしてアウトとなった)。西沢監督はとても穏やかな人だったが、怒りをあらわにしていた。結局は二塁打で落ち着いたが、スタジアムは荒れていた。西沢監督がフィールドに戻れと言ってくれて、戻った記憶がある。」
――私は当時11歳でした。あなたは私のアイドルで、その後の記者会見を覚えていますよ。
「そうだ、私も覚えている。『アメリカではあれはホームランと呼ぶ』と言ったんだ(笑)。それ以降、どこへ行ってもその話をされたもんだよ」
――1981年、82年そして83年と、あなたは中日のコーチングスタッフにいた。大活躍をするケン・モッカを連れてきた。そして現役時代にドラゴンズで一緒にプレーしたアスプロモンテと3人が全員がアメリカに帰ってメジャー監督になっているが?
「我々は日本でたくさんのことを学んだということだ。実際、野球とベースボールは別物だが、文化の違いの中にも学ぶことは多かった。持論だが、いい監督というのはいい選手がいるチームを指揮する監督だ。(笑いながら)、残念ながら当時のカブスはそこまでではなかったかなあ」
「星野はタフな男だった」 NPB初現役メジャーリーガーが秘める日本愛(下)
(盆子原浩二 / Koji Bonkobara)