メガネの名一塁手、小田義人氏71歳で死去 ヤクルト、日本ハムなどで活躍

日本ハムでは張本らとクリーンアップを組む

 日本ハム1年目の1975年は3番DH張本勲、4番一塁小田義人、5番左翼で大学同期の千藤三樹男という布陣。首位打者になった太平洋、白仁天の打率.31926に5毛差に迫る.31873をマーク。シュアな中距離打者として売り出した。

 この当時から、投手では高橋直樹、浅野啓司などメガネをかけた選手はいたが、野手では小田氏ぐらいで、極めて珍しかった。しかし守備はうまく、ゴロ処理などで俊敏なプレーを見せた。また野球選手らしからぬ知的な風貌で、人気があった。

 1977年、南海ホークスは野村克也監督の退団に伴う内紛で、柏原純一の放出を決定。小田氏は杉田久雄とともに柏原との交換トレードで南海に移籍した。

 南海では左打者の片平晋作と併用されたが次第に出場機会が減少、1981年に南海を自由契約となり近鉄に移籍。近鉄で2年プレーして引退した。

 通算成績は887試合2384打数610安打67本塁打274打点28盗塁、打率.256。1976年にはオールスターに選出されている。

 引退後は近鉄のスカウト、ヤクルトのコーチ、スカウト、スカウト部長を歴任。ヤクルトでは。藤井秀悟、鎌田祐哉、青木宣親、田中浩康、武内晋一と、早大の後輩にあたる有力選手を次々と入団させた。

 星野仙一氏、片平晋作氏、衣笠祥雄氏…。今年に入って、昭和のプロ野球をにぎわせた名選手の訃報が続いている。

 小田義人氏も71歳。まだひと働きできる年齢だった。早すぎる死が惜しまれる。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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