“甲斐キャノン”誕生秘話 「野球を続けるか、続けないか」から“奇跡”のプロ入り
“ノーマーク”の高校生が、恩師の電話でプロへの道を拓く
福山スカウトは宮地監督の願いを聞き入れた。「宮地監督から電話があって『見てもらえることになったから、体動かしとけよ』と」。奇跡的に実現した“テスト”。その8年後に日本中を驚愕させるスローイング面などを評価され、ようやくソフトバンクの獲得候補リストに「甲斐拓也」の名前が入った。
その後、編成担当者などのチェックも受け、育成ドラフト6位での指名に滑り込んだ。甲斐にとって幸運だったのは、2011年からホークスが本格的に「3軍制」を稼働させる予定だったこと。一芸に秀でた選手を中心に相当数の育成選手を獲得する計画があった。数々の巡り合わせがあって、甲斐拓也はプロの世界に導かれた。
「僕なんて絶対にノーマークのノーマークでしたよ。宮地先生の力があったから今の僕がいる。宮地先生がいなかったら、絶対に今の僕はいません」と振り返る甲斐。同期の千賀が、地元のスポーツ用品店店主の推薦でソフトバンクから育成4位で指名されたのは有名な話だが、甲斐もまたノーマークのところから、不思議な運命によってプロの世界へ道が拓けたのだった。
ノーマークの高校生から、数奇な巡り合わせにより、プロ野球選手に。入団後は育成選手として数々の苦労と鍛錬を重ねて支配下契約を勝ち取り、そこで満足もすることなく、ここ4年間で3度の日本一となった常勝ソフトバンクの正捕手となった。さらには、侍ジャパンの「扇の要」ともなりつつある。高校3年の夏に起きた人生の転機。あの時、恩師がスカウトに連絡しなければ、スカウトがその願いを断っていたら、プロ野球選手の甲斐拓也、そして“甲斐キャノン”は誕生していなかった。
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)