パウエル、郭源治、ブランコ…幅広い国から助っ人を獲得し成功させた中日
郭源治は106勝を挙げたがセーブ数も116を記録
〇セーブ数 5傑
1郭源治116セーブ(1981-1996)
2ギャラード112セーブ(2000-2003)
3宣銅烈98セーブ(1996-1999)
4バルデス24セーブ(2003-2004)
5ラミレス4セーブ(2007)
巨人、阪神、阪急(現オリックス)とならび、プロ野球草創期から続いている老舗球団の中日だが、初年度の1936年にはすでにバッキー・ハリス、ビル・ノースという外国人選手がいた。ハリスは戦前の職業野球を代表する捕手だった。
戦後も中日には多くの外国人選手がやってきた。1962年には、ジャッキー・ロビンソンに次いで黒人2人目のメジャー・リーガーとなり、のちに殿堂入りしたラリー・ドビーとMLB最多勝のタイトルもとったドン・ニューカムがプレーした。
1965年から続く巨人の連覇を「9」でとめたのは1974年の中日だが、その主軸打者として活躍したのがジーン・マーチンだ。マーチンは5年で180本塁打をマークした。
平成に入ると、台湾から有望な選手が中日に入団するようになった。郭源治は台湾陸軍から中日に。先発、救援で大活躍し、中日外国人としては最多の106勝116セーブを記録した。大豊泰昭(本名陳大豊)は、王貞治に憧れて野球をはじめ、台湾の高校を出て日本の大学に進み、中日職員を経てドラフト2位で入団。郭源治とは異なり、外国人枠ではなく日本人選手の扱いだった。1994年には本塁打、打点の二冠王を獲得。阪神に移籍した3年間を挟んで11年間、中日の主砲として活躍した。
陳偉殷は台湾の名門、国立体育学院から2004年に中日に入団。当初はNPBで通用するレベルではなかったが、次第に実力をつけ、2008年にチェンと改名をしてからはエース級の投手になった。チェンは2012年にMLBに移籍しオリオールズ、マーリンズで59勝を挙げている。
宣銅烈はKBO(韓国プロ野球)が生んだ最高の投手と言われたが、1996年に中日に移籍、クローザーとして活躍した。宣銅烈の後からは、李鍾範、李炳圭とKBOのトップ選手が中日に入団した。
台湾、韓国と独自のルートを開拓してきた中日だが、21世紀にはいるとドミニカ共和国やキューバから優秀な外国人選手がやってくるようになる。2004年に就任した森繁和コーチ(のち監督)は、自らドミニカ共和国に足を運び、ウィンターリーグなどを視察して選手を獲得するようになった。トニ・ブランコ、マキシモ・ネルソンなどがその代表例だ。
今季はキューバ出身のダヤン・ビシエドが首位打者を獲得。オネルキ・ガルシアが13勝。ドミニカ共和国出身のゾイロ・アルモンテも打率3割をマーク。中日の外国人選手の“打率”は高い。中日は外部のスカウトに頼らない独自のルートで、外国人選手の人脈を開拓してきた。来季はどんな選手が活躍するだろうか。
(広尾晃 / Koh Hiroo)