元阪神助っ人から「お前ならやれる」 異国の地で勝負を決めた右腕の挑戦
コロンビア挑戦を後押しした元阪神ペレスの言葉
コロンビア挑戦の話は、元阪神で、今年愛媛でチームメートだったドミニカ共和国出身のネルソン・ペレス外野手経由で10月に来た。今季、四国アイランドリーグplusで本塁打王と打点王の2冠に輝いているペレスは16、17年と過去2年、オフにコロンビアのウインターリーグを経験しており、今年も首位を走るカイマネス・デ・バランキージャで不動の4番としてプレーする。
宮崎でフェニックス・リーグに参加していた片山は「お前ならコントロールと投球術があるからやれる」というペレスの言葉でコロンビア行きを決断。同時期に、阪神からも打撃投手としての話をもらっていたが、11月の秋季キャンプからの参加が条件だったため、迷った挙句、阪神に断りを入れ、荷物をまとめた。
「今後、また日本でプレーしていればNPBにいけるチャンスはあるかもしれない。でも、ペレスが声を掛けてくれた今しか、コロンビアに行けるチャンスはないと思った。打撃投手からプロという可能性もゼロではないと思ったけど、現役引退になる。日本にいればもう1年独立リーグでやって、その後、プロに挑戦できる可能性はある」
元々、敷かれたレールの上で野球生活を送ってきた訳ではなかった。東海大山形から東海大に進学したが、高校の監督から大学野球部入部の推薦がもらえなかったことから野球部には入らず、クラブチームの横浜ベイブルースでプレー。大学卒業後は都内の企業に勤務しながら、横浜ベイブルースで野球を続けていた。だが、教育実習で母校の東海大山形に戻った時に、高校時代の監督から「お前なら大学でできた」と言われたことが心の中に引っかかっていた。チームの先輩が愛媛でプレーしていた縁もあり、トライアウトを受験し、合格。1年間勤務した仕事を辞め、独立リーグからNPBを目指す道を選択した。
1年目はゼロどころかマイナスからのスタートだった。「球速をはじめ、大学で4年間、野球部でやっていなかった間のブランクの大きさも痛感したし、体もシーズンを通して戦える体ではなかった」。クラブチーム時代の5年間は練習は週末のみ。平日はジムで個人トレーニングをするしかなかった。
直球の最速は143キロ。河原純一監督からは「大学で体づくりができる期間にもっとやっていれば伸びたんじゃないか」と言われ、その遅れを取り戻そうと、必死にトレーニングに励んだ。疑問があればすぐに監督の元にも足を運び、投球術を吸収した。その甲斐もあり、1年目に5.96だった防御率は2年目の今年、リーグ2位の1.92にまで上がった。
今年からキャッチボール相手が、かつて日本ハム、阪神、ヤクルトでプレーした正田樹投手になったことも大きかった。「フォームのバランス、リリースのタイミングさえあえば、理論的にはボールは絶対に同じところにいく」という正田のアドバイスを受け、キャッチボールから投球フォームを意識してきた。正田は台湾やドミニカ共和国でもプレー経験があり、出発前には「海外の打者はパワーが強いから甘くいったら打たれる。今年結果が残せたのはしっかりボールの出し入れができたから。今年日本でできたことができれば、よっぽどのことがない限り、打たれることはない」と背中を押された。