伝説の「10・19川崎球場」もう一方の主役、有藤氏が語った「あの日」【前編】
その年、その試合まで近鉄に全敗していたロッテ
今でも語り継がれる伝説の一戦であるが、第1試合まで普段の試合と変わらなかった。唯一、近鉄の勝敗次第で優勝の行方が左右される可能性があったということ。そして、近鉄ファンが大勢球場へ押しかけて当日券が売り切れになったということが普段との違いだった。それでも、第1試合プレーボールの15時時点では、ここまでの騒ぎになるとは誰も思っていなかった。当時は日本シリーズ常連であった西武ファンが、高みの見物をするのも理解できる状況だったのだ。
リーグ優勝を左右する勝敗は、試合前から見えているかのような状況であったが、有藤氏には余裕があったという。それは長年の野球人の経験というか、勘のようなものでもあった。
「目の前で優勝されて、川崎球場で胴上げされるのは嫌だった。でも、それに関しては頭になかったというか、まぁそれまでも相手の胴上げは見ているからね。それとは別に、試合のことはどこか楽天的に、簡単に考えていた。なぜかというと、そこまで近鉄がロッテにずっと勝っていた。プロ野球生活を長くやっていると、なんとなくその辺の雰囲気も分かる。シーズンを通じて全ての試合を負けるというのはありえない。だから、そろそろ1つくらいは勝つ頃だろうなって」
雨天順延の影響もあり、近鉄はシーズン終盤、10月7日から19日の13日間で15試合の強行日程となった。そのうちロッテ戦を9試合残していたが、運命の19日、ダブルヘッダーを迎えるまで1つもロッテに負けなかったのだ。だからこそ、有藤には試合の勝敗以上に気にかかることがあった。選手の個人成績である。
(山岡則夫 / Norio Yamaoka)
山岡則夫 プロフィール
1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌Ballpark Time!を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、製作するほか、多くの雑誌やホームページに寄稿している。最新刊は「岩隈久志のピッチングバイブル」、「躍進する広島カープを支える選手たち」(株式会社舵社)。Ballpark Time!オフィシャルページ(http://www.ballparktime.com)にて取材日記を定期的に更新中。