伝説の「10・19川崎球場」もう一方の主役、有藤氏が語った「あの日」【前編】

劣悪な川崎球場の環境、汚いロッカー、カビの生えた用具…

 加えて、本拠地球場に対する大きな不満も大きかった。当時のパ・リーグ本拠地は現在のように恵まれていない球場ばかり。ゴキブリが出没したという近鉄本拠地・日生球場など、多くの話題も振りまいたが、中でもロッテ本拠地・川崎球場はワーストに近かった。

「当時のロッテ戦はご存知の通り、毎試合、ガラガラの状態だった。とにかく環境が悪かったと思うね。川崎も今では駅前なんかも整備されているけど、当時はギャンブルと風俗の街だから。昼間から酔っ払いがいるんだから。球場もひどかったよ。狭いのはもちろんだけど、我々、選手が使うロッカーなども汚かった。湿気もすごくて、遠征に出ていると置いておいた用具にカビが生えていたこともあった。通路なんて大きい選手がすれ違うのがやっとぐらい。まぁ、球場改修をして少しは綺麗になったけど」と有藤氏。

「スタンドも歩いたことがあるけど、トイレや売店の数も少ないし、今の球場からしたら考えられない。狭い分だけグラウンドが近くて見やすいのかもしれないけど、あれではお客さんなんて来ないよ。当時のお客さんの数なんてベンチから数えることもできたし、ほとんど招待券なんじゃないかな。当時は川崎市も協力する姿勢がほとんどなかったらしいしね。あれでよく球団経営なんてできたと思う」と、当時の環境を振り返る。

「あの試合の日も、優勝が決まりそうと言っても相手は関西の近鉄。しかも、西武が有利な状況だったわけだから、そんなにお客さんも来ないんじゃないか、と思っていた。実際、第1試合のプレーボールはいつもより客も多いかな、というくらい。西武ファンが来ていたのもベンチから見えたくらいだからね。気づいたらなんか騒がしいなという感じだったな」

その年、その試合まで近鉄に全敗していたロッテ

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