コロンビアで武者修行する日本人左腕 先発ローテ入りが目標、夢はNPB選手
独立リーグは24~25歳まで「食っていくには厳しい場所」
将来の夢はNPBに入団すること。だが年齢的なこともあり「独立リーグでやるのは24か25歳までと決めている」という。「独立リーグは『ここでプロに行けなかったら諦められる場所』でもある。給料も高くない(月10数万円)し、食っていくには厳しい場所」日本の独立リーグはシーズン中しか給料が出ないため、今回のコロンビアはまさに出稼ぎだ。月2000ドル(約22万円)というサラリーは地元コロンビアのトップクラスの選手の倍以上で、航空券やホテル、ビジター時の食事代もチーム持ち。日本の独立リーガーにはオフの間、アルバイトなどで金を稼ぎ、それを切り崩す形で、薄給の夏のシーズンを乗り切る選手も多く、樽見は「飛行機代も全額出してもらえたし、オフの間も野球をしてお金がもらえるのは本当にありがたい」と感謝を口にする。
高知高時代には2年春、3年春と甲子園に出場したが、ベンチ入りはならず。背番号のないファウルボーイとして甲子園の地を踏んだ。阪神が育成での獲得を検討していたこともあり、退部後にはプロ志望届を提出したが、巨人からドラフト2位で指名されたチームメート、和田恋内野手とともにプロ入りの夢を実現することはできず。四国アイランドリーグplusのトライアウトにも落ち、専門学校に通っていた時、野球に専念したい、地元四国で野球がしたいという強い思いから15年オフに再びアイランドリーグのトライアウトを受け、愛媛に入団した。
入団1年目から制球に悩んでいた樽見を救ったのは、元オリックスの萩原淳野手コーチだった。キャッチボールでも思い通りにボールが投げられない樽見を見た萩原コーチは「ストライク入らんかったら、横からでも下からでも投げてみろや」とアドバイス。現役時代、野手から投手に転向している萩原コーチからの一言で、樽見はすがる思いでオーバースローからサイドスローへの転向を決め、制球難から脱出した。3年目の今季も前半は一時、無給となる練習生にも落とされたが、調子を取り戻し、後半は先発、リリーフの二足のわらじでチームを優勝へと導いた。
「独立リーグで3年やったからコロンビアにも来られた。今度はコロンビアでやったことをまた日本で生かしたい」
来季も愛媛でプレーする予定だ。生存競争の激しい異国の地で、さらに一皮むけようと必死にもがく樽見。プレーオフ進出を決めたチームで再び輝きを取り戻せば、来季への足がかりも必ず見えてくるはずだ。
(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)