楽天銀次が「急造捕手」で盗塁刺を記録 チームに必要な“隠れ捕手”の存在
過去の「急造捕手」は…、中日福田や阪神中谷らも“隠れ捕手”?
「急造捕手」と言えば、記憶に新しいのが巨人の故・木村拓也氏だ。2009年9月4日のヤクルト戦で、途中交代や負傷でベンチ入り捕手を使い果たした巨人は、木村を捕手で起用した。木村はアマチュア時代は捕手で、広島時代の1999年にも4試合でマスクを被っている。全くの素人ではなかったが、10年ぶりのマスクだった。
銀次も木村も、捕手の経験があった。全く未経験のままに、1軍の試合でマスクを被る羽目になったのが阪神の池辺巌だ。1977年4月30日の大洋戦で先発捕手の田淵幸一が退き、守備固めで2番手捕手として片岡新之助がマスクを被っていたが、ファウルチップで指を負傷。3番手捕手の大島忠一もすでに代打で使っていたため、池辺巌がマスクを被った。
池辺は長崎海星高校時代はエース、プロ入り後は好守の外野手として活躍。ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)を2回獲得している。器用な選手で三塁や遊撃も守ったことがあったが、捕手はアマチュア時代から一度も経験はなかった。
投手は古沢憲司。球種は速球とカーブだけ、サインはグーとパーだけ。試合は阪神が5-4でわずか1点のリード。それでも何とか守り抜いて、古沢にセーブが付いた。池辺は、打者が空振りをすると顔を伏せ、ミットだけを突き出して捕球した。このシーンは当時の「プロ野球ニュース」で何度も放映された。
プロ野球では捕手は絶対に1人ではまかなえない。ベンチ入り捕手は2~3人必要だが、指揮官は捕手を使い果たした「まさかの場合」に備えて、捕手経験のある選手の名前を頭の隅に置いておくという。おそらく銀次の名も平石監督の脳裏にはあったのだろう。
1軍の試合で捕手を務めた経験はないが、アマチュア時代や2軍時代に捕手の経験のある現役の「隠れ捕手」には、中日の福田永将、阪神の中谷将大、広島の曽根海成、ヤクルトの村上宗隆、オリックスの頓宮裕真らがいる。いずれも強打を活かすためにコンバートされたが、彼らも「万が一」の時には「急造捕手」になる可能性があるといえるだろう。
(広尾晃 / Koh Hiroo)