プロ野球、昭和、平成、令和を振り返る 各元号の最初、最後の勝利、試合は?
平成、令和、最初の勝利投手は巨人のエース、最初の本塁打も巨人の主軸内野手
プロ野球は昭和11(1936)年に始まり、昭和、平成と二つの時代を越えて令和時代に入った。昭和、平成、令和の「最初と最後の試合」を見ていこう。
○昭和最初の試合 1936年
昭和11(1936)年に日本職業野球連盟が設立された。それ以前にもプロ野球チームは存在したが、今のNPBへと続くリーグはこの時に発足した。連盟最初の試合は2月9日、愛知県の鳴海球場で行われた東京巨人軍対名古屋金鯱軍の試合だ。1日3試合が行われたが、第1試合は10-3で金鯱軍の勝ち。これは、アメリカに遠征する東京巨人軍の壮行試合。
公式戦としては、4月29日甲子園球場で大東京軍対名古屋軍戦が最初の試合。この日は大東京軍、名古屋軍、大阪タイガース、名古屋金鯱軍、東京セネタース、阪急軍の6球団が集結したが、その第1試合が大東京軍対名古屋軍戦だった。
この試合は、8対5で名古屋軍が勝利。日本プロ野球最初の勝ち投手は、名古屋軍の救援投手のハーバート・ノース。ハワイ出身の26歳の右腕。昭和最初の勝利投手は外国人選手だったのだ。ノースはサイドスロー、この年の7月には帰国し、NPBでは2勝5敗58.1回、防御率6.48に終わった。敗戦投手は大東京の左腕近藤久。この試合でホームランは出ず、プロ野球最初、そして昭和最初のホームランは5月4日の甲子園球場での大阪タイガース対東京セネタース戦で、タイガースの2番、藤井勇が野口明から打ったランニングホームランだった。
○昭和最後の試合 1988年
昭和は昭和64(1989)年1月7日、昭和天皇の崩御によって終わった。昭和最後の試合は前年の昭和63(1988)年の最後の公式戦ということになる。まだこの時点では、昭和天皇はご存命だったから、これが最後の試合になるという認識はなかった。この年は、球界が大きく揺れた年だった。9月14日には南海ホークスがダイエーに身売りし、福岡に移転することが発表された。10月19日には阪急ブレーブスがオリックスに身売りすることも発表された。この日には、球史に残るロッテ対近鉄の「10.19」の名勝負が川崎球場で行われている。
ペナントレースの最終戦は、10月23日、西宮球場での阪急対ロッテ戦。ダブルヘッダーで行われたが、その2試合目が昭和最後の試合。7-1で阪急が勝った。この日までに引退を表明していた阪急の大投手、山田久志が先発し、9回4安打自責点1で下し通算284勝目を挙げた。昭和最後の勝利投手は山田久志だった。最後の敗戦投手はロッテの平沼定晴。最後の本塁打は阪急、中島聡が平沼から打った。
この試合は阪急ブレーブスの最後の試合でもあり、試合後、上田利治監督が37000人のファンの前で「ファンがいる限りブレーブスは生き続けます」とあいさつ。この中で上田監督は「去る山田、そして福本(豊)」とコメントした。福本豊はまだ引退を表明していなかったが、上田監督のこのコメントを受けて引退を表明。NPB最多の1065盗塁を記録した最高のリードオフマンも昭和最後の試合がラストゲームになった。阪急最後の試合だけに西宮球場は超満員。3万7000人が詰めかけた。
なお、この試合に並行して中日対西武の日本シリーズが行われていた。その最終戦は10月27日西武ライオンズ球場で行われた第5戦。7-6で西武が勝利し、昭和最後の日本一となる。勝利投手は松沼博久だった。