病からの復活目指す中日藤嶋と笠原 共に投球練習を再開、復活にかける思い
発作性上室性頻拍の笠原、頭をよぎった引退「正直、新潟に帰って就職することも」
笠原は治療後、初ブルペンだった。ストレートとチェンジアップを交えて32球を投じた。
「勢いがありませんでした。全部、垂れているというか。まだまだです」
苦笑いを浮かべたが、投げられる喜びを感じていた。不整脈は大学時代から持っていたという。
「3年生からだったと思います。私生活では一切出ないのですが、運動すると、時々動悸が起きていました。プロに入ってからも何度もありました。ただ、休むとおさまるので、治療は今まで1度もしたことがなかったんです」
検査で原因が判明。しかし、医師からはこう告げられた。
「根治できない可能性もゼロではありません。その場合、運動は勧められません」
つまり、最悪“引退”ということだった。
「5年近くも不整脈と付き合ってきたので、大丈夫だろうと思いました。ただ、正直、新潟に帰って就職することも考えました」
治療は局所麻酔で行われた。したがって、医師の会話がうっすらと耳に入った。
「間違っているかもしれませんが、『これは治らない。次だ』と聞こえたんです。その時はさすがに『あ、終わった』と思いましたね」
不整脈の原因は異常な電気信号か電気経路によるものらしい。
「おそらく電気信号を焼き切ることは不可能だったんだと思います。ただ、それが出ても、経路を切断すれば良いらしく、たぶんそのことを話していたんだと思います」
治療は無事に成功した。今は運動をしても、全く動悸や発作はない。
「今後はもう少しブルペンに入って、BP(打撃投手)をして、シート打撃に登板。もちろん、2軍の試合にも投げると思います。どんどんペースアップしていきたいですね」
藤嶋は今月中に打撃投手をこなすところまで来ている。
「夏場の復帰を思い描いていましたが、ずいぶん早いです。6月中には2軍で投げたいです」
笠原も前を見据える。
「できれば、交流戦中に1軍復帰したいです。遅くても6月下旬のリーグ戦再開後には」
けが人続出で借金を抱える中日の現状は厳しい。しかし、光はきっと差し込んでくる。まもなく5月のカレンダーは破られる。カテーテル兄弟がマウンドに立つ日は遠くない。
(CBCアナウンサー 若狭敬一/ Keiichi Wakasa)
<プロフィール>
1975年9月1日岡山県倉敷市生まれ。1998年3月、名古屋大学経済学部卒業。同年4月、中部日本放送株式会社(現・株式会社CBCテレビ)にアナウンサーとして入社。テレビの情報番組の司会やレポーターを担当。また、ラジオの音楽番組のパーソナリティーとして1500組のアーティストにインタビュー。2004年、JNN系アノンシスト賞ラジオフリートーク部門優秀賞。2005年、2015年、同テレビフリートーク部門優秀賞受賞。2006年からはプロ野球の実況中継を担当。現在の担当番組は、テレビ「サンデードラゴンズ」(毎週日曜12時54分~)「High FIVE!!」(毎週土曜17時00分~)、ラジオ「若狭敬一のスポ音」(毎週土曜12時20分~)「ドラ魂キング」(毎週金曜16時~)など。著書「サンドラのドラゴンズ論」(中日新聞社)。