なぜ女子野球なのか? 1人の指導者が抱く思いと希望「1人でも多くの人に…」

小花氏の言う「女子野球の世界ではいけない行為」とは…?

「ノリでコーチになりましたが、コーチになろうと思った1番の理由は指導者の勉強ができることです。『高校野球の監督になるにあたって4年間、自己投資のためにコーチになる』こんないい話は他にないです。高校の先輩もいましたし、環境もよいので女子野球部に行くしかないと思いました」

 こうして小花氏は日体大女子野球部の学生コーチとして指導者の道を歩み出した。入学直後の4月から学生コーチとなった小花氏。わずか1か月で指導者としての壁にぶつかることになる。ある日の試合中、右翼手として先発した選手が1回表の守備が終わった後、肩の不調を訴えて交代することになった。これを受けて小花氏は代わりに出場する選手に対してその理由を告げた。しかし、この行為がチーム内に不穏な空気をもたらすことになってしまう。

「交代理由を他の選手に伝えることは何も問題がないように思いますが、女子野球の世界ではいけない行為だったのです。選手本人は周囲に弱みを見せたくなかったのだと思います。でも、この出来事のおかげで気遣いの大切さを学ぶことができました」

 当初は男女の考え方の違いに苦しんだが、この経験があったからこそ小花氏の意識が変わり、同時に監督からも指導者としてのイロハを学ぶこともできた。監督は8年間で6度の日本一という実績があり、選手からの信頼も厚い人物だった。小花氏が監督からの教えの1つに「監督・コーチがまとまっていく大切さ」を挙げた。指導者が一体になっていれば、たとえ途中で人が入れ替わっても指導者の間で常に意見交換ができていれば、選手の小さな変化に気づくことができ、プラスの言葉をかけることができるという。

 こうして、指導者として成長した小花氏にまたしても試練が訪れる。監督が突然、部を離れることになり、小花氏が監督に昇格することになった。

「自分が監督になったときは当時、チームは5年連続日本一だったので、伝統を守らなければいけないという大きなプレッシャーがありました。決まったからやるしかない。とにかく必死になってチームをまとめて戦うしかないと思っていました」

 急な監督就任となったが、プレッシャーと戦いながら選手をまとめていく日々が続く。大会直前合宿にはチームが分裂するなど問題もあったが、前監督の教えを守りながらチームは順調に勝ち続け、チームは7年連続日本一を達成した。有終の美を飾って女子野球部での指導を終えたこともあり、小花氏は安堵の表情で当時を振り返る。

「東京アンビシャス」設立は「女子野球を普及・発展させること」「次世代を担う若手選手の育成」「地域・社会貢献」のため

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