「あの死球があったから…」日ハム杉谷が語る甲子園1球敗戦投手から得た教訓とは
帝京高1年夏の甲子園・準々決勝で1球敗戦投手に「人生が変わったぐらい野球と向き合うように」
死球で人を笑顔にする日本ハム・杉谷拳士内野手。その裏には「あの死球があったから今がある」と振り返る1球がある。たった1球で敗戦投手になった2006年夏の甲子園。球界屈指のムードメーカーが「甲子園史上最も壮絶な試合」とも言われる準々決勝、帝京(東東京)-智弁和歌山(和歌山)戦を振り返った。
衝撃的な甲子園投手デビューだった。2006年8月17日、真夏の甲子園。帝京は9回裏に4点リードから1点差まで迫られ、なおも無死一塁のピンチを迎えた。総力戦で投手を使い切っていた。中学時代に投手経験はあったものの、高校公式戦での登板はない1年生の杉谷が大抜擢された。
「よっしゃ! 甲子園で投げられる!」
人生初の聖地マウンド。15歳は気力十分だったが、マウンド上で空回りした。初球108キロのカーブがスッポ抜けて、まさかの死球。同一、二塁に傷口を広げて、すぐに降板を言い渡された。9回表に一挙8点を奪って大逆転したチームは失速。最後は救援した投手が押し出し四球を与えてサヨナラ負けした。
「相手を抑えてやるではなくて、甲子園のマウンドに上がれることに満足してしまって。スキや油断ではないですけど、ほんのちょっとしたことで。当時の3年生には、すごく申し訳ないことをしたなと思います」