“山本昌2世”を目指す中日福が得たケガの功名 「あの地獄に比べたら、まだ楽」

中日・福敬登【写真:荒川祐史】
中日・福敬登【写真:荒川祐史】

プロ2年目の9月に「関節唇」を損傷、育成契約から再び支配下に復帰し今季は方程式の一角に

 張りつめた場面で登板を告げられても、心は落ち着き払っている。「ここで抑えるので、査定担当の方は見ていてください」なんて考える余裕ものぞく。中日4年目の福敬登投手が、勝利の方程式の一角を担うようになってから2か月近くが経った。初めて味わう重圧の中で結果が残せているのは、選手生命を脅かされた辛酸の日々があったからだという。

 いま振り返っても思う。「地獄にいるようでした」。プロ2年目の2017年9月、1軍の試合で左肩が悲鳴を上げた。関節を安定させ、クッションの役割を果たす「関節唇」を損傷。左腕を動かせないように吊って生活する日々が続いた。絶対安静を言い渡され、走ることすらできない。ナゴヤ球場でのリハビリで毎日1時間ほど散歩すると、2軍の試合中にも関わらず「帰っていいよ」と言われた。

「何もできないままプロ人生が終わるのかって思うのは、本当にきつかった」

 その年のオフに育成契約に。翌18年7月には再び支配下契約を勝ち取ったものの、ほぼ1軍の戦力にはなれなかった。不安定な立場と向き合う中、自らを奮い立たせる存在がいたことはありがたかった。新人時代から交際していた1歳上の千史さんと今年3月に結婚。福は、神奈川出身の愛妻とリハビリ中に交わした何気ない会話を思い出す。

「奥さんはベイスターズが好きで、家にいても『DeNAの試合を見ていい?』って言ってくるんです。それが悔しくて、絶対に俺が投げてる試合をすぐ見せたるからなってモチベーションになりました(笑)」

 そして故障以来、初めて万全で迎えた今季。5月に1軍昇格してからは、がむしゃらだった。「2軍に落とされないようにって変なプレッシャーがありました」。敗戦処理で結果を残し続け、気が付けばリードした6回や7回に声が掛かるようになった。これまでとは比べものにならない重責を感じる立場だが、福の意識は全く違った。

「打たれたら自分のせいにできる。ケガして何もできない時は、誰のせいにすればいいかも分からなかった。あの地獄に比べたら、まだ楽だと考えるようにしました」

憧れの山本昌氏の背番号「34」を背負う「もはや自分の中で神格化しています」

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