3度偉業のバーランダーを超える偉人の凄み 7度達成ライアンと4年連続コーファックス
コーファックスは4年連続でノーヒットノーランの離れ業
メジャー生活27年のライアンと対照的に、コーファックスは12年間。全盛期は1961年から引退する1966年までの6年間と活躍期間は短かった。その代わり、その間の印象は強烈だ。
成績はすごいとしか言いようがない。6年間で最多勝3度、最優秀防御率5度、最多奪三振4度、サイ・ヤング賞に3度、MVPに1度選出され、オールスターには7度選ばれた(1961年にオールスターは2回開催)。
最初のノーヒットノーランが1962年6月30日のメッツ戦で、それから1963年、1964年、1965年と4年連続で達成する。
ライアンと違ってコントロールもよく、4度目となった1965年9月9日のカブス戦では14三振を奪ってパーフェクトゲームを成し遂げた。
ちなみに1964年6月4日のフィリーズ戦で3度目のノーヒットノーランを果たしているが、この試合で許した走者は四球による1人だけ。その走者も盗塁死で、結局打者27人で終えた。もし四球の走者がなければ、史上唯一のパーフェクトゲーム2度の大記録を残していたことになる。
そんな大投手は30歳で球界を去った。最後の1966年はリーグ最多の27勝、ベストの防御率1.73、最多の317奪三振で投手3冠だったが「体力の限界」と引退した。
成績を見ると、どこがどう限界なのかさっぱり分からないが、酷使を続けてきたため肘や肩はぼろぼろだったという。
当時の先発投手は、現在の中4日より過酷な中3日で回っており、エースと呼ばれる投手は年間40試合以上先発し、300回以上投げることは珍しくなかった。コーファックスは1963年、1965年、1966年と3度、40試合以上先発して300回以上を投げた。
そうした時代に4年間で4度のノーヒットノーランを成し遂げたのだった。
(樋口浩一 / Hirokazu Higuchi)