「外せないものが人生で見つかった」 西武復帰の“いぶし銀”が子供たちに伝えたいこと
厳しいプロの世界で10年間プレー「出会ってきた人たちのおかげです」
そんな時、オリックスへのトレードが決まった。内野手同士のトレードだったため、自分は必要とされていると感じ、新鮮な気持ちで新たなチームに飛び込んだ。14年には自己最多の120試合に出場を果たしたが、その後は出場機会を減らし、16年のオフに戦力外通告を受け現役を引退した。
「プロ入りから10年間プレーできたのは、出会ってきた人たちのおかげです。自分が持っているものからしたら、10年はできすぎです。足も遅いし、ほぼ守備だけでやってきた。できればレギュラーを取りたかったですけど、レギュラーを取れなくて10年やれたら、チームに必要とされていたのかなと思います」
子供が好きなこともあり、引退後は関西で2年間、知り合いの野球塾で指導に当たり、今年からライオンズアカデミーのコーチに就任した。
「みんな同じではないので、いろんな角度から教えないといけない。子供に野球を教えるのは難しいですね。ただ、子供はすぐに成長するので、それを見られるのがやりがいです。嫌なコーチでもいい、感謝されようが憎まれようが、その子が成長してくれればいいと思っています」
子供たちには、野球に限らず一生懸命になれるものを見つけて欲しいと願っている。
「野球で進学も就職もできた。一つのことに一生懸命尽くせた。これだけは外せないというものが人生の中で見つかったのは、よかったと思います。レギュラーは取れなかったけど、野球を嫌いにならなかった。自分から辞めようと思ったことはありません。子供達にもそういうものを見つけて欲しいですね。そうしたら変な方向には行きませんから」
レギュラーとして華々しい活躍をしたわけではない。なかなか1軍に上がれず、苦しい日々も送った。それでも嫌いにならなかった野球に今も携わり、子供たちの指導にあたる原さんは、充実した第2の人生を送っている。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)