「外せないものが人生で見つかった」 西武復帰の“いぶし銀”が子供たちに伝えたいこと

今年からアカデミーコーチに就任した原拓也さん【写真提供:埼玉西武ライオンズ】
今年からアカデミーコーチに就任した原拓也さん【写真提供:埼玉西武ライオンズ】

今年からライオンズアカデミーのコーチとして新たな人生を歩む原拓也さん

 パ・リーグ連覇を成し遂げたものの、2年連続でクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージで敗退した西武。前回、西武が日本一に輝いた08年、試合に出られずファームで悔しい思いをしていた原拓也さんは今、ライオンズアカデミーのコーチとして新たな人生を歩んでいる。

 原さんは神奈川県出身。高校は名門、東海大相模に進学したものの、当時はプロを目指していなかった。

「中学は補欠で、相模にもセレクションで入りました。周りには中学生の日本代表の人たちがいて、勝てないなと思いました。父親が消防士だったので、プロに行けなくても社会人で野球をやって、将来は消防士になろうと思っていました。かっこいいし、いやらしい話ですけど、公務員は安定していますから」

 卒業後は関東学院大に進学し、楽しく野球ができればと思っていたが、1年から神奈川大学野球リーグで遊撃のベストナインに選出。2年時には日米大学野球の開催地域(横須賀大会)代表に選ばれ、プロを意識するようになった。そして06年大学生・社会人ドラフトで西武から4位指名を受け、プロへの切符を勝ち取った。

「やってきたことは間違ってなかったんだと嬉しかったですね。ただ、社会人も決まっていましたし、プロでやっていける自信がなかった。大学の監督、コーチ、チームメートに『こんなチャンスないぞ。プロになりたくても、なれない人はいっぱいいる』と言われて、挑戦してみようと思いました」

 しかし、1年目は全く歯が立たず、アマチュアの時の自信が全てなくなった。心身ともにボロボロになっていたシーズン終了間際、当時2軍野手総合コーチを務めていた田辺徳雄氏から声をかけられた。

プロ入り2年目でチームは日本一に輝くが自身はファーム「このまま終わるんじゃないかなって」

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