野球人生を左右する「野手転向」 西武川越らはブレークなるか…過去の成功例から探る

石井氏は横浜の主力として98年の日本一に大きく貢献

 まずは、野手転向初年度、あるいは転向2年目でレギュラーを獲得している選手たちを紹介しよう(通算成績は、野手としての数字のみを取り上げているが、投手としても大きな活躍を見せた関根潤三氏のみ投手の通算成績も併記)。

○関根潤三氏(元近鉄、巨人)
【1956年】
28試合 9勝11敗 152.1回 66奪三振 防御率2.94
【1957年】
投手:2試合 0勝1敗 5.1回 5奪三振 防御率4.50
打者:125試合 429打数122安打 6本塁打39打点 8盗塁 5犠打 打率.284
【通算成績】
投手:244試合 65勝94敗 1345.1回 645奪三振 防御率3.42
打者:1417試合 4078打数1137安打 59本塁打424打点 30盗塁 46犠打 打率.279

○柴田勲氏(元巨人)
【1962年】
6試合 0勝2敗 11回 9奪三振 防御率9.82
【1963年】
126試合 415打数107安打 7本塁打27打点 43盗塁 1犠打 打率.258
【通算成績】
2208試合 7570打数2018安打 194本塁打708打点 579盗塁 59犠打 打率.267

○石井琢朗氏(元横浜、広島)
【1991年】
9試合 0勝2敗 14.2回 4奪三振 防御率9.20
【1992年】
69試合 219打数59安打 3本塁打23打点 4盗塁 16犠打 打率.269
【1993年】
121試合 414打数110安打 5本塁打36打点 24盗塁 39犠打 打率.266
【通算成績】
2413試合 8638打数2432安打 102本塁打670打点 358盗塁 289犠打 打率.282

 関根氏は53年から3年連続で2桁勝利を挙げ、近鉄のエースとして活躍。野手転向前年の56年にも152.1回を投げて9勝を挙げている。しかし、転向1年目の57年には野手としてレギュラーを獲得。その後も主力打者として長きにわたって活躍を続けた。投手として50勝、野手として通算1000本以上の安打をそれぞれ記録しているのは、2リーグ制導入以降のNPBにおいては関根氏ただ1人だ。

 柴田氏は法政二高時代にエースとして甲子園で夏春連覇を達成し、高卒新人ながらプロ1年目の62年に、開幕2戦目の先発に抜擢される。ところが、同年は6試合で未勝利、防御率も9.82と結果を残せず、早々にスイッチヒッターとして野手へ転向することに。持ち前の俊足と打撃センスを活かして63年にはレギュラーの座を獲得。その後も6度の盗塁王を獲得するなど活躍を続け、V9時代を支える中心選手の1人となった。

 石井氏は高卒1年目の89年に1軍で17試合に登板し、1勝1敗、防御率3.56という数字を残したが、その後は2年続けて防御率9点台と苦しみ、92年からは野手に転向。同年の7月末から「2番・三塁」の座をつかむと、翌年からはレギュラーに定着。4度の盗塁王、2度の最多安打、4度のゴールデングラブ賞と、セ・リーグ屈指の内野手として走攻守の全てにおいて活躍し、トップバッターとして98年の日本一にも大きく貢献した。

阪神糸井は屈指の安打製造機として長年に渡り活躍

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