日本野球150年で起こった「試合中止」の憂き目 戦争、ストライキ、米騒動も…
球界再編問題ではストライキを決行、140試合予定も138試合でシーズンを終える
○戦争で職業野球も中断
現在のプロ野球の前身である職業野球は1936年にスタートしたが、1944(昭和19)年11月に、翌年のペナントレースを行わないことを決定。しかし、関西地区は軍部の規制が緩かったこともあり、1945(昭和20)年1月1日に西宮球場に阪神軍、産業軍、朝日軍、阪急軍が集結し「日本野球報国会正月大会」が行われた。初代ミスタータイガースの藤村冨美男など、兵役を免れた選手によって大会が行われたが、1月5日に終了。これが戦前最後の野球大会となった。
8月15日の終戦直後、日本に上陸した進駐軍は「日米でともに人気がある野球を今後の日本統治に活用する」という方針を打ち出した。占領軍の承認を得て、11月23日には日本職業野球連盟復興記念東西対抗戦が開催され、藤村冨美男や千葉茂などが出場。この試合では、戦前は明治大学の選手だった大下弘が大活躍をして注目を浴びた。太平洋戦争による中断は10か月余りだった。
○戦後プロ野球の公式戦の中止は1回だけ
戦後、プロ野球の公式戦が、社会情勢や自然災害などで中止になった事例はただ1つ。2004年のプロ野球では「球界再編問題」が起こり古田敦也選手会会長は9月18、19日に予定されていた12試合の公式戦でストライキを決行。パ・リーグのプレーオフの日程が10月1日に迫っていたために再試合は行われず、12球団は140試合の予定が138試合でシーズンを終了した。
2011年3月11日に起こった東日本大震災では、プロ野球は3月25日の開幕戦を4月12日に延期。この年の日本シリーズは11月12日からとなった。しかし公式戦もポストシーズンも中止することはなかった。
そして、新型コロナウイルスの影響で開催可否に注目が集まっていた今春の選抜高校野球大会は史上初の中止が決定。NPBも3月20日に予定していたシーズン開幕を延期することを決定している。公式戦143試合は何とか実施したいという意向を示したが、東京オリンピックによる中断も予定されており、予断を許さない。日本野球は、150年の歴史で、何度もピンチを乗り越えてきた。日本を元気づけるために、今回も危難を乗り越えてほしい。
(広尾晃 / Koh Hiroo)