“太く短く”輝いた名選手たち 与田、伊藤智、斉藤和らが残した功績を振り返る
パンチ佐藤は登録名を変更した年に戦力外も多くのファンに愛された
○佐藤達也 投手 オリックス 通算262試合、11勝21敗、109ホールド、14セーブ、防御率2.71
2011年のドラフトでオリックスから3位指名を受け入団。150キロを超す直球とスライダー、フォークを武器にプロ入り2年目の2013年に40ホールド、14年に42ホールドをマークし2年連続で最優秀中継ぎを獲得。その後は登板過多が響いたのか成績を落とし2018年に現役を引退。実働はわずか6年だった。
○越智大祐 投手 巨人 通算240試合、18勝13敗、66ホールド、84セーブ、防御率3.05
2005年の大学・社会人ドラフトで4巡目指名を受け巨人に入団。2008年に1軍デビューを飾ると68試合に登板し3勝3敗、10ホールド、防御率2.40をマーク。山口鉄也と共に中継ぎ陣を支え2011年まで4年連続40試合登板を記録したが12年に難病である黄色靭帯骨化症を発症し、その後は1軍に戻ることができず13年に現役を引退した。
○パンチ佐藤 外野手 オリックス 通算149試合、打率.273、3本塁打、26打点
1989年のドラフトでオリックス・ブレーブスから1位指名を受け入団。ルーキーイヤーの1990年に42試合に出場し打率.331、1本塁打、8打点の成績を残したがレギュラー定着とはいかず1994年に仰木監督から登録名を「パンチ」に変更(同時に鈴木一朗はイチローに変更)。だが、同年に戦力外通告を受け現役を引退しタレントに転身した。
ここでは名前が挙がらなかったが「権藤、権藤、雨、権藤」で有名な権藤博氏は通算82勝をマークしているが、ルーキーイヤーの1961年に35勝(19敗)、62年に30勝(17敗)、投手しての実働はわずか5年間だけだった。
上記に名前が挙がったのは“剛速球”投手たちが多いが、ほとんどの選手たちが肩、肘などの怪我に泣きユニホームを脱いでいる。また、パンチ佐藤のようにお茶の間に愛される選手も。輝きは一瞬も、“太く短く”強烈なインパクトを残しファンの記憶に残っている。
(Full-Count編集部)