メジャーの実績は日本で通用したのか? 過去に来日した“超大物助っ人”を振り返る
ドジャース時代の06年に16勝を挙げて最多勝に輝いたペニーはわずか1試合でホークスを退団
○ブラッド・ペニー(ソフトバンク)
MLB通算 121勝101敗、防御率4.29(ホークス退団後を含む)
ドジャース時代の2006年に16勝を挙げて最多勝に輝くなど、2年連続2桁勝利、通算119勝の実績を引っ提げて2012年に鳴り物入りで加入。だが、初登板となった楽天戦でKOされると右肩の痛みを訴え登録抹消され退団。その後、わずか10日後にMLBのジャイアンツと契約した。NPB通算は1試合、0勝1敗、防御率10.80。
○フリオ・フランコ(ロッテ)
MLB通算 2586安打、173本塁打、1194打点(ロッテ退団後も含む)
1995年にMLBストライキの影響とボビー・バレンタイン監督の誘いを受け入団。移籍1年は127試合に出場し打率.306、10本塁打、58打点、一塁手でゴールデングラブ賞を獲得。2度目の来日となった1998年は40歳ながら131試合に出場し打率.290、18本塁打、77打点と活躍した。また、2015年にはBCリーグ石川で選手兼任監督としてプレーしている。
○トニー・フェルナンデス(西武)
MLB通算 2276安打、94本塁打、844打点
1999年オフにFAとなり西武に移籍。わずか1年の在籍だったがチーム内でも人望が厚く、2000年は103試合に出場し打率.327、11本塁打、74打点をマーク。退団後はブルワーズ、ブルージェイズでプレーし2001年に現役を引退。2020年2月に腎臓の合併症と脳卒中で亡くなったことが伝えられた。
上記で紹介できなかった選手でも有名なのは1997年に阪神に加入したグリーンウェル。右足を骨折し「神のお告げ」で現役引退、わずか7試合の出場に終わった。その他にもカープアカデミー出身で1996年から2年間広島に在籍したソリアーノは1999年にヤンキースに移籍するとMLB通算2095安打をマークするなど大活躍を見せた。
またNPBではないが、レッドソックスなどでプレーしMLB通算555本塁打をマークしたマニー・ラミレスは2017年に四国アイランドリーグ・高知に入団し1シーズンプレーしている。
通算○○本塁打、通算○○安打、通算○○勝…。世界最高峰の舞台メジャーリーグからやってくる助っ人には必ずと言っていいほどこのような言葉が並ぶ。実績通りに活躍した選手もいれば期待外れに終わった選手もいる。オリックスのジョーンズを含め今季加入した“助っ人たち”はどのような活躍を見せるか注目だ。
(Full-Count編集部)