「選手、チームの変化こそ我々の冥利の一つや」 元オリ監督が救われた野村克也氏の言葉
「野球界の中で一度は野村さんの元でも学びたかった」
野村氏が残した功績は教え子や関わった指導者たちに今後も受け継がれていく。1点を守り抜く、1点をもぎ取る、弱者が強者に勝つ、創意工夫、勇気ある決断、強靭な忍耐力なくしては成しえない等の野球観が重なる野村氏への思いは森脇も今も心の中に強く残っている。
「情報社会となり、グローバル化が進む時代背景の中、賢い若者は数多い。私も多くの若者と向き合って改めて強く感じることだ。一方で自立、自発性、創意工夫する能力、そして我慢する力が少し不足していることにも気付く。野村監督からの発信、存在こそが賢い若者から逞しい大人への育成に直結すると確信するだけに残念でならない。
今、福岡工業大学の部員から多くの気付き、学びを頂きながら心理学を学んでいる。『野球界の中で一度は野村さんの元でも学びたかった』という願いは叶わなかったが、今後もアマ野球界を含め指導に力を注いでいきたい」
◇森脇浩司(もりわき・ひろし)
1960年8月6日、兵庫・西脇市出身。現役時代は近鉄、広島、南海でプレー。ダイエー、ソフトバンクでコーチや2軍監督を歴任し、06年には胃がんの手術を受けた王監督の代行を務めた。11年に巨人の2軍内野守備走塁コーチ。12年からオリックスでチーフ野手兼内野守備走塁コーチを務め、同年9月に岡田監督の休養に伴い代行監督として指揮し、翌年に監督就任。14年にはソフトバンクと優勝争いを演じVの行方を左右する「10・2」決戦で惜しくも涙を飲んだ。17年に中日の1軍内野守備走塁コーチに就任し18年まで1軍コーチを務めた。球界でも有数の読書家として知られる。現在は福岡六大学野球の福岡工大の特別コーチを務め、心理カウンセラーの資格を取得中。178センチ、78キロ。右投右打。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)