山田久志、福本豊にブーマー、イチローも! 「プレイバックORIX」で球史にふれる

阪急福本は72年に歴代シーズン最多106盗塁、75年からはリーグ4連覇を飾った

 71年からV2、さらに75年からは4連覇と黄金期に突入する。特に72年は2位の近鉄に14.0ゲーム差の独走。福本豊外野手が106盗塁という当時の世界記録を打ち立て、MVPと盗塁王の2冠に輝く。そして長池徳二外野手は41本で本塁打王、プロ4年目のサブマリン・山田久志投手も最多勝となる20勝を挙げた。

 74年シーズンから西本監督に代わってコーチだった上田利治監督が指揮を執る。就任時37歳だった青年監督のもと、チームは日本シリーズ3連覇、そして4年連続のリーグ優勝と隆盛を極めた。75年には広島を4勝2分で圧倒して球団創設40年目で初の日本一に輝くと、76年と77年にはこれまで日本一の壁となっていた巨人をついに倒す。

 この頃のチームは加藤秀司内野手、福本、山田、通算代打本塁打27本といういまだ破られぬ記録を持つ高井保弘内野手ら、前監督・西本氏の薫陶を受けたメンバーが実力を発揮。それに加え、ルーキーイヤーの75年に日本シリーズMVPと新人王を獲得し、剛速球で名を轟かせた山口高志投手、中日から移籍した77年に17勝6敗で最高勝率を獲得した稲葉光雄投手、75年の来日から強打で貢献した二塁手のマルカーノ、78年に打率.307、61盗塁を記録した簑田浩二外野手といった面々も阪急ブレーブス黄金期の原動力となった。

 6年ぶり10度目のリーグ優勝を決めた84年は、投手では21勝9敗、防御率2.93の今井雄太郎投手と17勝を挙げた佐藤義則投手が牽引。そして、来日2年目のブーマー内野手が打率.355、37本塁打、130打点の3冠王という見事な打ちっぷり。グラウンド外では球団マスコット「ブレービー」が81年から西宮球場に登場。ますます西宮の人たちに愛されていった阪急ブレーブスに転機が訪れる。88年10月に阪急からオリエント・リースへの球団譲渡が決まり、球団名も「オリックス・ブレーブス」へ変更された。

「がんばろうKOBE」で結束したオリックス・ブルーウェーブ

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