内野より広い外野はなぜ3人で守るのか? 昔の球場はフェンスなしの“球拾い”
1972年の日本シリーズでは王貞治の打席で外野4人シフトも
外野のアウトになる確率を高めるために、内野手を減らして外野手を増やすことは、現実的ではない。たとえ外野を4人にしたところで、外野に飛ぶ打球の安打率を劇的に下げることは難しいからだ。むしろ1人減った内野の安打率が激増すると考えられる。アウトにしやすい内野により多くの野手を配する方が合理的なのだ。
しかしながら状況によっては外野を4人、内野を3人にするような臨時のシフトが組まれることがある。
1972年10月21日に後楽園球場で行われた巨人と阪急の日本シリーズ第1戦、王貞治の第2打席で、阪急の西本幸雄監督は、遊撃手の大橋穣を中堅手の守備位置で守らせ、本来中堅の福本豊を右中間に配した。左翼手ソーレル、右翼手長池徳二も含めた4人で外野を守ったのだ。この打席で王は山田久志からバックスクリーン近くまで飛ぶ大飛球を打った。これをフェンス際で大橋が捕球。守備記録は、捕球の位置ではなく打球を処理した野手につくので、大橋は100メートルオーバーの大きなショートフライを処理したことになった。
内野手4人、外野手3人という伝統的なシフトは今、大きく変化しつつある。
MLBでは打球の飛んだ位置をプロットし、それに基づいて打者ごとに飛びそうな位置にあらかじめ野手が移動して守る「守備シフト」を敷くのが一般的になった。左の強打者が打席に立てば一、二塁間に5人の野手が並ぶシフトが普通に行われるようになった。こうしたシフトでは、外野手が内野ゴロを処理することも珍しくない。また内野手が外野フライを捕球することもある。
野球というゲームは、ルールは同じであっても仲は大きく変わっている。今は外野手の概念も揺れ動いていると言えるだろう。
(広尾晃 / Koh Hiroo)