元日本ハム田中幸雄氏が「イップスだった」過去を告白 克服したシンプルな練習方法
イップスの治療薬はあるのか?田中氏「怖さを取っ払うくらいの…」
イップス治療の処方箋があるとすれば、「反復練習によって“怖さ”をとっぱらうくらい自信をつけるか、勝手に動く体をつくるかだと思います」と実感。「考えたら、たぶんダメです。僕もあのまま何もせずに、周囲からああやって投げろ、こうやって投げろといろいろ言われていたら、改善されなかったかもしれない」と語る。
一方、持ち味の打撃でも、無心にバットを振り続けた。2年目のオフには、千藤三樹男1軍打撃コーチが合宿所まで足を運び、12月末まで付きっ切りで指導。「当時は正直言って、コーチに言われるがまま、何も考えずにがむしゃらにやっていました」と田中氏。手のひらにはマメができてはつぶれ、冬にはひび割れができて、血だらけになった。バットから手を離すと傷口が開いて痛むので、1時間でも2時間でも握ったまま。練習を終えると、慎重に少しずつ、バットから手のひらをはがしていった。風呂に手を入れると、飛び上がるくらいしみた。いつしか、暇さえあればバットを握り、場所さえあればスイングするようになり、その習慣は現役引退するまで続いたのだった。
また、当時二塁のレギュラーで寮に住む先輩だった白井一幸氏にならって、まだプロ野球界に浸透していなかったウエートトレーニングを導入。その結果、田中氏の上腕と前腕の太さは球界随一を誇るようになった。
プロ3年目に弱冠20歳にして全130試合に出場し、打率.277、16本塁打をマーク。チームの主軸となり、95年に打点王のタイトルを獲得するなど、球界を代表するスラッガーに成長していった。猛練習でスターの座に上り詰めた名残で、52歳となった今も、田中氏の前腕は人一倍太い。